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大平洋戦争開戦より約一年半後に諜報機関よりB29の情報が入ってきた。このB29に対しては当時新鋭だった三式12cm高射砲をもってしても性能不足で最大射高20000m級が必要とされたため12cm高射砲の拡大改良型として開発を始めたものである。昭和19年4月に起案図が完成し大阪造兵廠と日本製鋼所が競争試作に参加、同時に砲架や照準機なども同時に設計が進められた。図面完成は昭和19年10月、砲完成は昭和20年4月となり5月に東京都杉並区久我山に布陣、既に5分の3が焼失していた首都の防空任務に付く。また同年5月には日本製鋼所より2号砲が完成し、同じく久我山に据えられた。比較的短い終戦までの活躍であったが昭和20年8月2日のアメリカ陸軍315BWの128機(通常爆弾搭載)が川崎の三菱石油川崎製油所を空襲の際、久我山付近にて2機が撃墜(一部アメリカ側資料では高速戦闘機かロケット砲による攻撃とされている)されている、これはこの砲による戦果と見られる。 |
口 径:149.1mm |
砲身長:9000mm(8940mmの資料有り) |
砲身重量:9200kg |
放列重量:50000kg |
初 速:930m/sec |
最大射高:20000m |
備 考:- |
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航空機の進歩により開戦時主力であった八八式7.5cm高射砲では撃墜を期すことが困難となってきた。そこで陸軍は新型高射砲の研究を命じ、調査の結果スウエーデンのボフォース7.5cm高射砲の機構を使用した砲を開発することとなった。これが昭和19年に制式採用となった四式高射砲であるが生産数は少なく60門程度に終わったと言う。四式戦車や五式戦車の戦車砲は、この高射砲の派生である。 |
口 径:75mm |
砲身長:4230mm |
重 量:3355kg |
初 速:850m/sec |
最大射高:17000m |
備 考:- |
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太平洋戦争あたりには航空機の発展が著しく、より高高度にての迎撃が必要となってきた、そのためには高射砲の初速を増すことが必要であったが、軽い砲弾を初速を上げたことにより高空へ送り届けるには限度がある。また初速を上げたことにより砲身寿命も短くなり利点は少なかった。そこでまったくの新型12cm高射砲の開発が始まり昭和18年3月に試作砲が完成、試験後に三式12cm高射砲として制式採用となった。この砲は海軍が艦船高角砲で使用していたウイリアムジョンネ式水圧伝導機を採用し精密迅速に照準が出来るようになっていた。しかしながら重量の関係で移動式には無理があり固定での要地、則ち東京、大阪、神戸、八幡などの防空に使用された。また今までの火道式信管を止め機械信管が使用され、高射照準具には優秀な電気照準具が取り付けられていた。 |
口 径:120mm |
全 長:-mm |
砲身長:6710mm |
重 量:19800kg |
初 速:853m/sec |
最大射高:20500m |
備 考:- |
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