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大正10年頃に計画された要塞整備計画に伴い製造された口径410mmの巨大榴弾砲である。砲身重量のみで80t、全備重量が318tで、それ以前に日本陸軍が製造した七年式30cm榴弾砲に比べ砲身長で約2倍、砲身重量で約4倍、全備重量で3倍の差があった。当初は外国より製造機器の輸入も考えられたが、大阪工廠火砲製造所の努力により一年半(輸入の場合条件にもよるが三年程度)で完成、新たに建築された工場により製造が開始された。大正15年8月に完成、試験射撃は千葉県富津にて行われ、一応成功したが動力設備に若干の改修を要する為、そのまま試験場に格納された。この時点で改修して要塞に設置されなかったのは、海軍の建造中の戦艦、即ち「赤城」(後の空母)、「土佐」(廃艦)の主砲(砲塔45口径40cm加農砲)が国際条約の為余剰となり、これの要塞砲移転が決定した為であった。しかし昭和10年10月に陸軍重砲兵学校より本砲の操作研究や実用射撃の要望があった、そこで改修し射撃を行ったところ非常に良好な結果が出た為、対ソ戦使用の構想が打ち出された。昭和16年末より昭和17年3〜5月にかけて満州の虎頭要塞に移転が完了、終戦間近まで実戦射撃は行われなかったが、昭和20年8月8日にソ連軍が満州へ侵入し、9日正午に本砲が射撃を開始した。射撃から約1時間後の13時に11発目が射撃目標であったシベリア鉄道イマン迂回線の鉄橋北部へ命中、19日までに百数十発したがその後砲身が破裂、沈黙し守備隊も一部を除いて玉砕した。 |
口 径:410mm |
放列砲車重量:318000kg |
高低射界度 :-5〜+75° |
方向射界度 :360° |
初 速:580m/sec |
射 程:20000m |
砲身長:134550mm |
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ワシントン海軍軍縮条約により多数の戦艦(またはそれに準ずる艦艇)が廃艦となったが、この主砲を要塞砲として移転することが決定し陸軍が海軍より購入することとなった。その中から戦艦土佐と巡洋戦艦赤城の1番砲と2番砲、4番砲が選定、1〜4号砲と命名され下表のように要塞に設置された。実際海軍からの購入となってるもののほぼ無料で陸軍へ贈られ(砲弾各100発も)、改修費用も海軍持ちであったとされる。これは海軍で保管すれば莫大な保管料が取られる為で、ようは厄介払いであったと考えられている。
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口 径:410mm | |||||||||||||||
放列砲車重量:1、3号砲781800kg。 2号砲977700kg | |||||||||||||||
高低射界度 :-2〜+35° | |||||||||||||||
方向射界度 :300° | |||||||||||||||
初 速:760m/sec | |||||||||||||||
射 程:30300m | |||||||||||||||
砲身長:13840mm |
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