A6M1 |
試作機。2機製作。 |
A6M2a |
11型と呼ばれたもの。栄11型搭載で生産は昭和14年12月〜昭和15年11月までに64機。全て三菱製。 |
A6M2b |
21型と呼ばれたもの。M2aの翼端を空母搭載用に各500mm折りたためるようにした。三菱で昭和15年11月〜昭和17年6月に740機、中島で昭和16年11月〜昭和19年6月(?)までに2821機 |
A6M3 |
32型と呼ばれたもの。エンジンを栄21型(二速過給機)に変更しM2bの翼端を500mmカットし垂直面の運動性を良くしたものでロール率、上昇力などは良くなっており急降下速度も向上していた。また翼の20mm機銃もドラム式60発弾倉から100発弾倉の1号2型に変更。しかしながら大半のパイロットに航続距離の低下から嫌われ内地部隊に主に配備。生産は全て三菱によって行われ昭和16年6月(何故か6〜8月に1機ずつで昭和17年6月まで生産が止まっている)〜昭和17年12月までに343機。 |
A6M3 |
22型と呼ばれたもの。32型の航続距離の減退を元に戻すために製作。翼幅を12000mmに戻し折り畳み機構を復活、外翼部に45リットル燃料タンクを増設したもの。エンジンは同じ。途中から99式2号20mm機銃に換装された(甲型)。生産は三菱のみで行われ昭和17年12月〜昭和18年8月までに560機が生産された。 |
A6M3 |
12型(?)。22型の翼端折り畳み機構廃止機か?。詳細不明。 |
A6M5 |
52型。戦争後半の主力になったタイプ。M3の3904号機を改修した試作機が昭和18年8月に完成。翼を11000mmで丸端翼とし推力式単排気管(初期の型は間に合わず既存の排気方法をとっていた。)に変更、フラップ幅の増大等、エンジン部の消化装置の廃止、主翼内燃料タンクに自動消化装置装着(三菱4274号機以降)、無線を3式1号に変更(三菱4354号機以降)。急降下制限速度が360ktとなった。三菱で747機生産。中島機は不明。 |
A6M5a |
52型甲。M5の主翼武装をベルト給弾方式の99式2号4型に変更し主翼外板を厚くし急降下制限速度を400ktとしたもの(400ktについては途中からの説もある)。三菱で391機生産。中島機は不明。 |
A6M5b |
52型乙。途中まで甲型と並行生産。右舷胴体機銃を3式13.2mm機銃としたもの。風防前面に45mm防弾ガラス装着。昭和19年1月に完成し三菱で470機生産。中島は不明。 |
A6M5c |
52型丙。M5bの外翼に3式13.2mm機銃を追加。両翼下面に30〜60s爆弾を搭載可能。操縦席直後の防弾ガラス追加(途中からの資料あり)。生産は三菱で93機。中島機は不明。 |
A6M6 |
53型丙。M5cのエンジンをメタノール噴射式の栄31型としたもので性能不足により試作機1機のみ。(「62型?A6M7、栄31型、中島第53556号」の銘板が残っていることから少数は製造されたか?) |
A6M7 |
63型。M5のエンジンを栄31甲に変更したもので胴体下面に埋め込み式に爆弾増加タンク懸架装置を付けたもの(翼下増加タンク懸架装置については昭和20年7月生産分から)。機体後部を強化。 |
A6M8c |
54型丙、のちに64型。昭和19年11月に開発命令の出された金星62型エンジン(1500HP)搭載型。カウリングから胴体前部の形状が変化していた。試作のみ。 |
A6M5改造夜間戦闘機 |
航空廠改造型。操縦席直後に99式2号4型20mm機銃を30度前上方向きに装着した応急改造夜間戦闘機。302空、131空の一部が使用。 |
A6M5k? |
M5の複座練習機型(日立製のM2kとの記述有り)。試作2機。 |
A6M2k |
M2の複座練習機型。昭和17年11月〜昭和19年10月に21空廠製造で239機生産。他に日立で昭和19年5月〜昭和20年7月に279機。 |
A6M仮称2式30mm機関砲装備機 |
昭和18年7月に3機現地改装。 |
A6M2-N |
2式水上戦闘機。昭和16年12月8日初飛行の水上機型。昭和16年12月〜18年7月(9月の資料有り)までに中島で262機(327機の資料有り)。 |