世界の艦艇
アメリカの戦艦4

アイオア級(5隻)BB61・BB62・BB63・BB64・BB65・BB66

[アイオア] [ニュー・ジャージー] [ミズーリ]
[ウ
スコンシン] [イリノイ] [ケンタッキー]

アイオア級
1939年度計画で最初の3隻が建造されたアメリカ海軍最後の戦艦(残りの3隻は1940年度計画)。基準排水量が45000tの大型戦艦で16inch砲も50口径となり優れた電子兵装・速力とともに世界最強の戦艦と言えるものであった。反面、パナマ運河の幅の制約から全幅が108フィートに抑えられ細長い船体となり推進抵抗上も防御上も適切な船体とは言えなかったと言う。

1番艦「アイオア」(BB61)
1939年度計画。1943年1月ニューヨーク海軍工廠にて竣工。1943年8月にニューファンドランドに進出し北大西洋にてドイツ戦艦「テルピッツ」への警戒にあたった。1943年11月に当時のアメリカ大統領ルーズベルトがテヘラン会議へ出席の為乗艦し、大統領をテヘランまで移送した。1944年1月に太平洋戦域へ進出しクエゼリン・メジュロ攻略作戦に従事、2月には第58機動部隊とともに日本軍のトラック基地を粉砕、マリアナ、ヤップ、パラオなどを攻撃した。1944年4月、ホーランジア作戦、6月にはマリアナ攻略・マリアナ沖海戦に参加、7月にはグアム・テニアン攻略作戦に参加、9月には南パラオ諸島攻略、10月はレイテ作戦に従事。1945年3月より沖縄作戦を支援、7月には日本本土砲撃作戦に従事。その後終戦を迎えたが1952〜1953年に朝鮮戦争に従事、1958年2月に退役しモスボールされていた。1984年4月、当時のレーガン大統領の軍拡の下でトマホーク・ハープーン搭載のミサイル戦艦として就役、大西洋艦隊に配備されていたが1990年のブッシュ政権にて退役した。


2番艦「ニュー・ジャージー」(BB62)
1939年度計画。1943年5月フェラディルフィア海軍工廠にて竣工、翌1944年1月に第5艦隊に編入されて、航空母艦「バンカーヒル」等とクエゼリン・メジュロ攻略作戦に参加。1944年2月に日本軍の要衝トラック攻撃に、又、3月にはパラオ、ヤップ、ウルシー作戦を支援、4月はホーランディア、5月にはポナペ砲撃を実施した。1944年6月にはサイパン攻略及びマリアナ沖海戦に参加。7月にはグアム攻略を支援。1944年8月に第3艦隊旗艦となりハルゼー提督の乗艦となった。9月には南パラオ諸島攻略、10月はレイテ作戦に従事。1945年3月より沖縄作戦を支援、7月には日本本土砲撃作戦に従事。その後終戦を迎えたが1951〜1953年に朝鮮戦争に従事後モスボールされ保管されていた。1968〜1969年のベトナム戦争で再度現役となり陸上陣地砲撃で活躍したが1970年に予備艦となった。1982年12月、当時のレーガン大統領の軍拡の下でトマホーク・ハープーン搭載のミサイル戦艦として就役、太平洋艦隊に配備されニカラグア沖での「アワスタラ演習」やタイでの「コブラ・ゴールド」演習等に参加後、1990年のブッシュ政権にて退役した。


3番艦「ミズーリ」(BB63)
1940年度計画。1944年6月にニューヨーク海軍工廠にて竣工し8月より訓練開始、11月より太平洋海域に回航された。1945年2月の硫黄島攻略作戦に参加、また第5艦隊指揮下のもと西南諸島、本州への攻撃を支援。1945年3月に沖縄作戦に従事、同作戦中の4月11日及び16日に日本海軍航空隊の自殺機攻撃を受け損傷した。1945年5月、第3艦隊旗艦となった。1945年6月に台風により損傷、7月よりは日本本土砲撃を行い、室蘭や北北海道、北東北への砲撃を行った。終戦後、降伏文書の調印が本艦上で行われたことは有名。1950年より1953年まで朝鮮戦争で活躍したが1955年に予備艦としてワシントン州ブレマートンにてモスボール保管。1986年5月、当時のレーガン大統領の軍拡の下でトマホーク・ハープーン搭載のミサイル戦艦として就役、太平洋艦隊に配備されたが1990年のブッシュ政権にて退役した。


4番艦「ウスコンシン」(BB64)
1940年度計画。1944年4月にフェラディルフィア海軍工廠にて竣工、アメリカが完成させた最後の戦艦となった。1944年9月、太平洋に回航、同年12月より第3艦隊第38機動部隊に編入されレイテ作戦に参加、ミンドロ島上陸支援に従事。1945年1月、リンガエン上陸作戦を支援、同月より第3艦隊を支援し台湾、ルソン、南西諸島への攻撃作戦を実施、インドシナのサイゴン、カムラン湾攻撃にも参加した。1945年2月に硫黄島作戦支援、3月には沖縄作戦、7月には日本本土砲撃を実施、そのまま終戦を迎えた。1951〜1952年には朝鮮戦争へ参加。1956年5月に大西洋にて駆逐艦と衝突、艦首を損傷したが未完成戦艦BB66の艦首を使用し修理。1958年3月より予備艦となったが1988年12月、当時のレーガン大統領の軍拡の下でトマホーク・ハープーン搭載のミサイル戦艦として就役、大西洋艦隊に配備されたが1990年のブッシュ政権にて退役した。


写真なし

5番艦「イリノイ」(BB65)
1940年度計画。工程22%で工事中止。解体。


写真なし

6番艦「ケンタッキー」(BB66)
1940年度計画。1950年に進水したが工程69.2%(70〜73%の資料有り)にて工事中止。艦首のみ4番艦BB63の修理に使用。1958年解体。
基準排水量 45000t
全    長 270.5m(ニュー・ジャージーとウスコンシンは207.6m)
   幅    33m
吃    水 11m
機    関 212000HP
乗    員 -名
速    力 33kt
兵    装 16inch砲×9門、5inch砲×20門
備    考 最大装甲438mm

アイオア級VS大和級

よくIFの世界では言われる議題ではあるが、あくまで参考としてのこととして見ていただきたい。まず、一番最初の問題は・・・・つまり16inch砲VS18inch砲であるが当然ながら威力では大和級が上回っている、即ち砲戦距離2万mの場合、その貫徹力は16inch砲で垂直甲板で457mm、18inch砲で566mm。また水平甲板で127mm対167mmとなっている。ちなみに大和の舷側鋼板は410mmではあるが角度が20度の為、実質584mmとなりアイオワ級の16inch砲での貫徹は不可能、水平甲板にしても大和級は200mmあった為、2万mでは貫徹は不可能、チャンスがあるなら3万mでようやく貫通できるようであった。反対に2万mなら大和の18inch砲弾は垂直及び水平甲板どちらとも貫通できる威力であった。また日本が開発した91式鉄徹甲弾は、水中直進性がありアイオア級の水面下の装甲を容易に破ることができた。もっともアメリカはある角度で水面に落ちた砲弾がある程度水中を直進するのは知っていたらしいが・・・・。大和級に問題があるとすれば、よく言われる副砲の防御で、重巡洋艦となった「最上」から譲りうけた砲であったが装甲厚が25mm程度・・・・、もしココが貫通されればすぐ前(後部)は主砲の弾薬庫であった為、誘爆の危険性を孕んでいた。最終的に特別な対策はされず、揚弾薬筒中甲板部貫通部(防御甲板)にコーミング・アーマーを追加し耐砲弾防御とし、耐爆弾防御としては砲塔内の防炎装置に頼る程度であったらしい。電子兵装の差は歴然としており夜間にてファーストアタックが出来るのは砲撃用レーダーMk78を搭載したアイオア級であることは言うまでもない。しかしながら、意外とこの射撃レーダーは精度がたいしたことが無く、昼間砲撃戦となった場合は光学式測距器を上回ったかは疑問であった(例として1944年にサン・ベルナルジノ海峡にて日本海軍駆逐艦「野分」を追跡したアイオアとニュージャージーがレーダー射撃にて砲戦距離3〜3.5万mから主砲の砲撃を加えたが一発の命中も与えられなかった)。アイオア級の勝機があるとすれば夜間か天候不良時にその電子能力から奇襲をかけるか、速力を利用(アイオア級33Ktに対して大和級27Kt)して距離を3万m以上を維持し大和級が弱ったところにおいて接近し有効弾を送るしか手立てがない。しかしあくまでも故障など偶発的な要因が起こらなかったことが前提となることは言うまでもない(シブヤン海にて戦艦「武蔵」が戦闘初期に爆弾命中のショックから前後方位盤が故障し、もし砲撃戦になれば役に立たなかった可能性など)。駄文陳謝m(__)m・・・・しかしながら・・・・なんか実戦だとアイオア級が大和級を袋叩きにして終わりそうな気が・・・・しませんか????

陸奥屋 http://www003.upp.so-net.ne.jp/wowow262/


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