ヨークタウン級(後述)で実用的な空母のプロトタイプを完成したアメリカ海軍は1938年の第2次ヴィンソン計画で、これを更に改良した空母の設計に着手した、この計画は予算枠のおかげで具体化しなかったが、第二次世界大戦の勃発により第3次ヴィンソン計画で復活し同型航空母艦3隻の建造が決定した。これがエセックス級である。1940年7月には同型艦8隻が追加、1941年12月の太平洋戦争開戦により2隻が追加、1942〜43年に更に19隻だ追加され合計32隻の建造が決まった。最終的には日本の降伏により24隻に縮小したが1タイプの正規空母としては最多を誇る。本艦はヨークタウン型の拡大改良型とは言え水中、水平防御や対空兵装が比較にならないほど強化され数、質を含めた能力は当時世界最強であった。また後々の搭載機の発達まで視野に入れていたためベトナム戦争まで実戦を体験している。一部は他艦種に転用されている。 |
ワスプ[二代] ( Wasp II ) CV18
1943年11月24日、マサチューセッツ州クインシーのベスレヘム社にて竣工(当初の名前はオリスカニー)。1944年5月19〜20日に南鳥島攻撃に参加、6月15日にサイパン上陸作戦を支援、続いて6月19日にマリアナ沖海戦に参加したが急降下爆撃機の攻撃を受け損傷した。1944年9月21〜22日にフィリピン・ルソン方面の日本軍飛行場を空襲し、更に同24日にコロン湾を攻撃。1944年10月中はフィリピン各地の日本軍飛行場を攻撃していた。1944年10月25日にエンガノ岬沖海戦(日本名レイテ沖海戦)に参加。1945年2月19日には硫黄島上陸作戦を支援。1945年3月18〜19日には沖縄攻撃支援のため九州各地に飛行場を攻撃したが日本海軍爆撃機の反撃を受け損傷した。1945年4月1日より沖縄上陸作戦を支援、その後7月10日より終戦まで日本本土攻撃に参加した。1947年1月より予備艦となったが1948年にニューヨーク工廠にて27A改装を受け1951年に再竣工。1955年にサンフランシスコ工廠にて再改装されアングルトデッキを備えた近代空母となったが翌1956年に対潜支援空母(CVS)となった。1972年除籍。 |
ハンコック ( Hancock ) CV19
1944年4月15日にマサチューセッツ州のクインシーのベスレヘム・スチール社にて竣工。1944年10月14日にフィリピン作戦従事中に台湾南方海域にて日本海軍機の攻撃を受け損傷、同10月25日にエンガノ岬沖海戦(日本名レイテ沖海戦)に参加。1944年11月25日にルソン島中部の日本艦艇及び飛行場攻撃に参加、その際に日本軍機の攻撃を受け小破(ハンコック上空100m付近にて爆発、飛行甲板に小火災)。1945年1月21日には台湾南東海域より沖縄・台湾方面の日本軍艦船及び飛行場を掃討中、爆発事故により損傷。1945年4月7日に日本海軍自殺機の突入を受け損傷。1945年7月10日より日本本土攻撃に参加。1947年5月に予備艦編入。1951年にビュゼット・サウンド工廠にて改装(27C改装)、1954年再就役し攻撃空母(CVA)に類別、1956年4〜11月に再度改装(125改装計画による)。1975年除籍。 |
ベニントン ( Bennington ) CV20
1944年8月6日にニューヨーク工廠にて竣工。1945年2月8日に太平洋艦隊に編入され、同16〜17日に東京攻撃に参加、同19日には沖縄上陸作戦を支援。1945年3月1日に沖縄攻撃、同18〜19日に九州や瀬戸内海方面の飛行場・基地を空襲した。その後、沖縄作戦を支援していたが6月5日に台風により損傷。1945年7月10日より終戦まで日本本土攻撃に参加した。1946年11月に大西洋方面予備艦となったが1950年10月よりノーフォーク工廠にて改装、1952年11月に攻撃空母(CVA)として再就役。1954年6月にニューヨーク工廠にて再改装(アングルトデッキ、ハリケン・バウ等新設)され1955年3月に就役。1959年1月にハンターズ・ポイントで改装、6月より対潜支援空母(CVS)となった。1976年除籍。 |
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基準排水量 :27100t(オリスカニーは30800t)、満載38500t |
全 長:267.2m(タイコンデロガ、ランドルフ、ハンコック、ボクサー、レイテ、キアサージ、オリスカニー、 アンティータム、プリンストン、シャングリ・ラ、レイク・シャンプレーン、タワラ、ヴァレー・フォージ、 フィリピン・シーは270.8m) |
幅 :水線幅28.4m、最大45m |
吃 水:7m |
機 関:150000HP |
乗 員:3500名 |
速 力:33kt |
兵 装:12.7cm連装高角砲×4基、同単装高角砲×4基、40mm機銃×32〜68門 20mm機銃多数 |
航 空 機:80〜100機 |
備 考:- |