アメリカの航空母艦(U.S.Aircraft Carriers)

インデペンデンス 級 (Independence Class)

インデペンデンス

プリンストン

ベロー・ウッド

Independence (CVL22)

Princeton (CVL23)

Belleau Wood (CVL24)

正規空母としてのエセックス級の建造に着手したアメリカ海軍は、それら正規空母の他に緊急に空母を増勢させる必要に迫られた。この計画は新たに船体を設計している余裕が無いため、建造が進んでいた「クリーブランド」級軽巡洋艦の船体を使用することで解決、当初の計画通り1943年までに就役、正規空母が枯渇していた太平洋戦域に投入された。このクラスとしては、かなりの成功作でエセックス級と同行し太平洋戦争後半に活躍した。当初は正規空母を示すCVとされたが1943年6月以降は軽空母、即ちCVLとなった。

インデペンデンス Independence (CVL22)

1943年1月14日にニューヨーク造船キャムデン造船所にて竣工(当初の軽巡洋艦名は「アムステルダム」)。1943年9月1日に南鳥島攻撃に参加、同年10月5〜6日にウエーク島攻撃、次いで11月11日にはラバウル攻撃に参加した。1943年11月21日にギルバート諸島上陸作戦中に日本海軍攻撃機G4Mタイプ(一式陸上攻撃機)より魚雷1本を受け損傷。1944年6月15日、サイパン島上陸作戦、同19日にマリアナ沖海戦に参加。1944年10月17日に台湾攻撃、25日にはフィリピン沖海戦に参加し日本海軍小沢機動部隊を攻撃。1945年7月10日より日本本土攻撃に参加し、そのまま終戦を迎えた。戦後はビキニ環礁の原爆実験に使用された後、1951年1月29日に新型兵器の標的とされ沈没。同年に除籍。

プリンストン Princeton (CVL23)

1943年2月15日にニューヨーク造船キャムデン造船所にて竣工。1943年9月1日に南鳥島攻撃に参加、18日にギルバート諸島のマキン、タワラ島攻撃に参加。1943年11月5日にラバウルを空襲、11日に再度ラバウル空襲を行った。9月20日にタワラ島上陸支援に従事。1944年2月17日にマーシャル諸島エニウエトク環礁上陸作戦を支援、22日にサイパン、テニアン島攻撃に参加。1944年6月15日、サイパン上陸作戦、同19日にマリアナ沖海戦に参加。1944年10月17日に台湾攻撃に参加、同20日にレイテ上陸作戦を支援。1944年10月24日にフィリピン沖海戦に参加の際、日本海軍第2航空艦隊のD4Yタイプ(彗星)の攻撃を受け、高度300mから投下した250kg爆弾1発が命中、飛行甲板を貫通し2層も貫通した後、炸裂、大破炎上し軽巡洋艦「レノ」の魚雷により処分された。1944年除籍。

ベロー・ウッド Belleau Wood (CVL24)

1943年3月31日にニューヨーク造船キャムデン造船所にて竣工(当初の軽巡洋艦名は「ニュー・ヘイヴン」)。1943年9月17〜19日にギルバート諸島タワラ島を攻撃、同10月5〜6日にウエーク島攻撃に参加。1943年11月20日にギルバート諸島上陸作戦を支援。1944年2月17〜19日にトラック島を空襲、同22日にサイパン島を空襲。1944年6月15日にサイパン上陸支援の為、小笠原諸島の日本軍基地を攻撃、同23日に日本海軍機の攻撃により損傷。1944年10月25日にフィリピン沖海戦に参加。1945年7月10日より日本本土攻撃に参加し、終戦を迎えた。その後1953年9月にフランスに供与され(フランス海軍艦名「ボア・ベロー」[Bois Belleau]、1960年10月に返還の上除籍。
基準排水量 :11000t、満載13000t
全    長189.9m
     :最大33.3m
吃    水6.1m
機    関:100000HP
乗    員:士官159名、下士官兵1410名
速    力31kt
兵    装12.7cm単装両用砲×2基、40mm機銃×18門(ベロー・ウッド以降は26門)
        20mm機銃多数。
航 空 機:45機
備    考カタパルト2基装備。
陸奥屋 http://www003.upp.so-net.ne.jp/wowow262/

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