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昭和10年3月に日本海軍が三菱に開発命令を出した弾着観測を優先した複座の水上偵察機(愛知との競争試作)。敵同様機種による観測妨害を排除しつつ観測可能高度を維持することなど、一部の性能は水上戦闘機に近いものが求められていた。複葉機ではあったが機体自体のリファインは徹底して行われ搭載したエンジンも「光」1型(660HP)より「瑞星」13型(875HP)に変更、試作途中指摘された安定性欠如も改修により解決され昭和15年12月にF1M2(零式1号観測機1型[昭和17年に零式観測機11型と名称変更])として制式採用となった。昭和16年半ばより部隊就役したが、太平洋戦争開戦時より、その性能を遺憾なく発揮(戦艦同士の砲撃に際しての観測が無かった為、ほとんどが偵察任務に終止していたが)し特にガダルカナル島上空航空戦ではR方面部隊(ショートランド島地区の水上機母艦搭載機の部隊)が活躍(事実上は水上観測の成果では無いため『活躍』と言う言葉は当てはまらないかもしれない)、則ち昭和17年9月14日のガダルカナル島飛行場への薄暮攻撃にて迎撃してきたアメリカ軍のF4Fの内、5機を撃墜(日本軍側発表、実数は不明)、また同年24日には艦隊上空を哨戒中の本機が攻撃してきたSBD艦上爆撃機12機を空戦の後、撃退(実質戦果不明)したこともあったと言う。結局のところ目的とした『観測機』としての活躍はほとんど出来なかったが偵察機としては重宝され試作のF1M1が4機、昭和13年3月よりF1M2が三菱にて524機、他に佐世保工廠にて180機が昭和18年までに生産された。 |
発動機 :三菱 「瑞星」13型空冷星型14気筒 875HP(離昇出力) |
寸 法 :全幅11m、全長9.5m |
重 量 :自重1928kg、総重量2550kg |
最大速度:370km/3440m |
航続距離:740km |
上昇時間:5000m/9分36秒 |
武 装 :7.7mm機銃×3、爆弾60Kg×2または30Kg×2 |
備 考 :- |
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94式水上偵察機の後継機。日本海軍が愛知に「12試3座水上偵察機」として試作命令を出したもの(川西との競争試作)。海軍側への納入期限(昭和13年9月)に遅れた為、一時は失格を言い渡されたが競争試作の相手であった川西機が比較的斬新な機構だったものの性能が振るわず、さらに試作1号機が事故で、また2号機が行方不明となり事実上審査が頓挫してしまった。愛知では失格後も社内研究用として製作を進めており社内テストでは好成績を上げていた為、海軍が再度テストを行い量産が決定され昭和15年9月に1号機が完成、昭和15年12月に制式採用されE13A1(零式1号水上偵察機1型[昭和17年に零式水上偵察機11型と名称変更])となった。日本海軍機動部隊大型艦船には常に本機が搭載されており太平洋全域やインド洋に至るまで活躍範囲も広い。また終戦まで船団護衛や対潜哨戒などにも活躍していた。愛知で133機、渡辺(後の九州飛行機)で1200機(1127機の資料もある)、広工廠にて90機の合計1423機が生産された。種類は事実上1種だが以下の様なサブタイプがあった。
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発動機 :三菱 「金星」43型空冷星型14気筒 1080HP(離昇出力) | ||||||||||||
寸 法 :全幅14.5m、全長11.49m | ||||||||||||
重 量 :自重2642kg、総重量3640kg | ||||||||||||
最大速度:376km/2180m | ||||||||||||
航続距離:2090km(1644kmの資料有り) | ||||||||||||
上昇時間:3000m/6分5秒 | ||||||||||||
武 装 :7.7mm機銃×1(後部旋回式)、爆弾60Kg×4又は250Kg×1 | ||||||||||||
備 考 :- |
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