日本の病院船
病院船はこの他にも多数存在しました。★

朝日丸

本艦は元々、イタリアで進水した『ダンテ.アリギアリ』と言う客船であったが昭和3年に近海郵船が購入。台湾航路の客船であったものを、昭和12年8月7日付けで海軍が徴用したものである。昭和19年2月5日に四国の丸亀沖で油槽船「満珠丸」と衝突沈没した。主機はレシプロ2基、2軸推進で9300馬力、速力17.2ノット、排水量9326t。


高砂丸

元は昭和11年に台湾航路用として大阪商船が三菱長崎に建造させた客船。昭和16年11月12日に「氷川丸」(後述)とともに海軍に徴用された。太平洋戦争開戦後、連合艦隊直属となり活躍したが幸いに終戦まで生き残り、戦後は大阪商船籍に復帰、昭和31年に解体されるまで貨客船として使用されていた。排水量9315t、タービン2基、2軸推進で11000馬力を発揮、速力は20ノットの優速船であった。


橘丸

元は昭和10年に東京湾汽船が伊豆航路の客船として建造したもの。昭和13年6月29日付けで海軍に徴用され呉鎮守府所轄の特設病院船として中国大陸へ赴いたが7月29日に中国軍機の爆撃を受け沈没、その後引き上げられ再整備の上昭和18年10月に陸軍病院船となった。昭和20年8月3日にバンダ海を航行中、アメリカ駆逐艦に臨検され、その際、兵員を輸送していたため拿捕された。戦後は復員輸送に従事。その後ふたたび伊豆航路客船となり昭和48年に除籍されるまで使用された。排水量1772t、主機はディーゼル2基で2400馬力、17.76ノット。


氷川丸

元はシアトル航路の貨客船で昭和5年に建造された。昭和16年11月に北米在留邦人の引き上げ用として政府に徴用され、帰国後病院船に改修、昭和16年12月1日付けで特設病院船となった。開戦後、第四艦隊所属となり活躍、3度の触雷を経験したが終戦まで生き残り、戦後は復員船、さらに客船として昭和35年まで活躍している。排水量11621t、主機はディーゼル2基で11000馬力、速力15ノット。現在、横浜の山下公園に係留。


あめりか丸

(陸軍病院船)

元は、明治31年にイギリスで完成し東洋汽船が買い取りサンフランシスコ航路で使用していた貨客船で、その後、大阪商船が台湾航路にて使用、昭和12年に陸軍が徴用した。昭和19年3月6日にアメリカ潜水艦の雷撃を受け沈没。排水量6312t、主機はレシプロ2基で6000馬力、速力18ノット。


波上丸

(陸軍病院船)

本船は大阪商船琉球航路の貨客船で昭和11年に建造。昭和12年8月に陸軍に徴用されて病院船となった。昭和17年10月7日にラバウル南方海域でアメリカ潜水艦の雷撃を受け沈没。排水量4731t、主機ディーゼル1基で4000馬力、速力17.9ノット。


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