日本の駆潜艇
(Japanese Navalvessels)

1号型
[1号艇、2号艇、3号艇]

本型は日本海軍初の駆潜艇として同型艦2隻が昭和8年度の追加計画において計画されたもので昭和9年3月に完成している(3号艇のみ9年度計画)。主機は艦本式22号8型ディーゼル2基で2軸推進2枚舵とされたが、吃水の浅い本艦のような船体には2枚舵は不利であり以後の型では1枚舵とされた。兵装は8cm高射砲か40mm機関砲かで問題になったが発射速度の速い40mm機関砲が潜水艦攻撃では有利とされヴィッカース式連装機関砲を前甲板に、爆雷は36個を搭載し艦尾に投下軌条1組を設けていた。3隻とも大戦中に爆雷投射機、装填機を2基追加、また水測機器としてアメリカのサブマリン.シグナル社製のMV水中聴音機と93式水中探信儀を装備し、本格的な対潜艦であった。

1号艇

昭和8年度計画。昭和9年3月24日、浦賀にて竣工。開戦時、第1根拠地隊に属しフィリピン攻略作戦に参加。続いてメナド、マッカサル、ジャワ攻略作戦に参加した。昭和17年3月に第21特根所属となりスラバヤを基地として終戦まで船団護衛に従事していた。昭和21年7月11日シンガポール沖にて海没処分、昭和21年8月10日除籍。


2号艇

昭和8年度計画。昭和9年3月25日、東京石川島にて竣工。開戦時、第1根拠地隊に属しフィリピン攻略作戦に参加。続いてメナド、マッカサル、ジャワ攻略作戦に参加した。昭和17年3月に第21特根所属となりスラバヤを基地としてジャワ方面の船団護衛に従事していた。昭和20年6月17日スラバヤよりマッカサルにむけ船団護衛中、アメリカ潜水艦ブルーバック[]Blueback]の雷撃を受け沈没、昭和20年8月10日除籍。


3号艇

昭和9年度計画。昭和11年10月5日、浅野にて竣工。開戦時、第1根拠地隊に属しフィリピン攻略作戦に参加。続いてメナド、ケンダリー、マッカサル攻略作戦に参加した。昭和17年3月10日に第21特根所属となりスラバヤを基地としてケンダリー、マッカサル方面の船団護衛に従事していた。昭和17年5月1日よりスラバヤ、バリックパン方面の船団護衛に従事、終戦をスラバヤで迎えている。昭和21年7月11日シンガポール沖にて海没処分、昭和20年8月10日除籍。

基準排水量:266t(3号艇は270t)
常備排水量:280t(3号艇は285t)
全   長:65.3m(3号艇は56.1m)
    5.9m(3号艇は5.6m)
吃   水:1.43m(3号艇は2.1m)
主   機:艦本式22号8型ディーゼル機関×2(2軸、3400HP)(3号艇は6型で2500HP)
乗   員:65名(3号艇は60名)
速   力:24ノット(改修により21ノットに下降、3号艇は20ノット)
航続距離 :14ノットで1500浬
兵   装:40mm連装機銃×1基、25mm機銃×1基、94式爆雷投射機×2基、
      爆雷装填台×2基、爆雷投下軌条1基、爆雷36個、93式水中聴音機、
      3式または93式水中探信儀
備   考:資料によっては3号艇のみ別型として扱われている。


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