15〜17年度計画によって建造された駆潜艇。15年度に12隻、16年度に19隻、17年度に3隻の建造がなされている。基本的に兵装や配置は13号艇と同様で、同艇が保身性にやや不良が見られたため艦尾艦底の形状と構造に改正を施したものであった。13号艇との見かけ上の違いは艦尾が垂直になったことで排水量も460tから442tとなっていた。資料によっては13号艇後期型となっているものもある。 |
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昭和16年度計画。昭和18年11月30日、浪速船渠にて竣工。竣工後、横須賀鎮守府に編入され横須賀〜父島間の船団護衛に従事。昭和19年2月21日洲ノ崎付近にて浮遊機雷に接触し損傷、横須賀にて修理。同年7月より再び父島への船団護衛に従事。昭和20年3月佐世保鎮守府へ編入され5月より佐世保〜青島間の船団護衛に従事、次いで佐世保〜釜山間の船団護衛に従事。昭和20年8月14日に佐世保付近にてアメリカ海軍艦載機の攻撃を受け損傷、そのまま終戦を迎えた。昭和23年解体。 53号艇 昭和16年度計画。昭和19年3月20日、浪速船渠にて竣工。竣工後、横須賀防備戦隊に編入。同年4月より第3南遣艦隊に編入されマニラへの船団護衛昭に従事、以後同方面への船団護衛に従事した。和19年11月28日、レイテ島オルモック湾にてアメリカ海軍駆逐艦ウオラー[Waller]他の砲撃を受け沈没(丸スペシャル「駆潜艇・哨戒艇」では「艦載機の攻撃による」となっているが間違いと思われる)。昭和20年1月10日に除籍。 54号艇 昭和16年度計画。昭和18年11月12日、新潟鉄工所新潟工場にて竣工。竣工後、横須賀防備戦隊に編入された。新潟での完成後、大湊経由にて船団護衛を行い横須賀へ移動。昭和18年12月より尾鷲を基地として熊野灘方面での哨戒、船団護衛に従事。昭和19年3月より本土〜父島間の船団護衛に従事していたが同25日小笠原諸島海域北方にてアメリカ海軍潜水艦ポラック[Pollack]の攻撃を受け沈没。昭和19年5月10日除籍。 |
基準排水量:420t |
常備排水量:442t |
全 長:51m |
幅 :6.7m |
吃 水:2.63m |
主 機:艦本式23号8型ディーゼル機関×2(2軸、1700HP) |
乗 員:80名 |
速 力:16ノット |
航続距離 :14ノットで2000浬 |
兵 装:8cm高角砲×1基、13mm連装機銃×1基、25mm単装機銃×3基、 94式爆雷投射機×2基、爆雷装填台×2基、爆雷投下軌条2基、爆雷36個、 93式水中聴音機、3式または93式水中探信儀 |
備 考:兵装は大戦末期の状態 |
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