日本の駆潜艇
(Japanese Navalvessels)

4号型 1
[4号艇、5号艇、6号艇]

1〜3号艇がトップヘビーぎみであった為、それを改良したものである。計画は昭和12年度に計画され13年11月〜14年6月にかけて9隻が完成している。本型は艦橋位置を半デッキ下げ、煙突付近の上部構造物を取り除くなどの重心低減の努力がされていたが反面、船体構造の複雑化を招き量産に不向きな艦になってしまったことは否めない。

4号艇

昭和12年度計画。昭和13年12月28日、大阪造船所桜島にて竣工。開戦時、第2根拠地隊に属しフィリピン攻略作戦に参加。続いてリンガエン攻略作戦に参加した。昭和17年1月にダバオ方面にて哨戒に従事し続いてスラバヤ攻略作戦に参加、3月10日に第22特根に編入、バリックパパンにて船団護衛に従事した。昭和19年4月18日、セレベス島ライカン湾にて艦底が岩床に触れ中破、スラバヤにて6月13日まで修理。その後、フィリピン、バリックパパン方面にて船団護衛に従事。昭和20年2〜3月に修理及び整備をスラバヤにて行い、以後同方面にて船団護衛に従事していた。昭和20年8月13日スラバヤ沖にて触雷沈没、昭和22年5月3日除籍。


5号艇

写真無し

昭和12年度計画。昭和13年12月6日、三菱重工横浜にて竣工。開戦時、第2根拠地隊に属しフィリピン攻略作戦に参加。続いてリンガエン攻略作戦に参加した。昭和17年1月にダバオ方面にて哨戒に従事し続いてバダビア攻略作戦に参加、3月10日に第22特根に編入、バリックパパンを基地としてボルネオ方面にて船団護衛に従事。昭和20年1月9日、アメリカ潜水艦(不明)の雷撃を受けスラバヤにて修理。終戦をジャカルタで迎え、昭和21年7月11日にシンガポール南方海域にて海没処分された。昭和21年8月10日除籍。


6号艇

写真無し

昭和12年度計画。昭和14年5月20日、鶴見製鉄にて竣工。開戦時、第2根拠地隊に属しフィリピン攻略作戦に参加。続いてリンガエン攻略作戦に参加した。昭和17年1月にダバオ方面にて哨戒に従事。3月10日に第22特根に編入、バリックパパンにて船団護衛に従事した。昭和18年1月よりアンボン方面で船団護衛に従事、7月より再びバリックパパンを基地として船団護衛に従事していた。昭和19年3月30日にパラオより出港し西水道にて船団護衛中、アメリカ機動部隊艦載機の攻撃を受け擱座、放棄。昭和19年10月10日除籍。

基準排水量:291t
常備排水量:309t
全   長:56.2m
    5.6m
吃   水:2.1m
主   機:艦本式22号6型ディーゼル機関×2(2軸、2600HP)
乗   員:59名
速   力:20ノット
航続距離 :14ノットで2000浬
兵   装:40mm連装機銃×1基、25mm単装機銃×3基、94式爆雷投射機×2基、
      爆雷装填台×2基、爆雷投下軌条1基、爆雷36個、93式水中聴音機、
      3式または93式水中探信儀、13号電探
備   考:兵装は大戦末期の状態


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