1〜3号艇がトップヘビーぎみであった為、それを改良したものである。計画は昭和12年度に計画され13年11月〜14年6月にかけて9隻が完成している。本型は艦橋位置を半デッキ下げ、煙突付近の上部構造物を取り除くなどの重心低減の努力がされていたが反面、船体構造の複雑化を招き量産に不向きな艦になってしまったことは否めない。 |
昭和12年度計画。昭和13年11月15日、鶴見製鉄造船にて竣工。開戦時、第9根拠地隊に属しボルネオ攻略部隊に編入されミリ、クチン攻略作戦に参加。ついでマレー上陸陸軍輸送船団護衛に従事。昭和17年3月末、ペナンへ陸軍部隊を輸送後、ペナンを基地としてシンガポール、サバン方面の船団護衛に従事。昭和19年6月15日、ペナン西方にて触雷、10月末までシンガポールにて修理。完了後、再びペナンを基地として船団護衛に従事していたが、昭和20年4月11日カーニコバル諸島にてイギリス軍機の攻撃を受け沈没。昭和20年5月25日除籍。 昭和12年度計画。昭和13年11月30日、玉造船所にて竣工。開戦時、第9根拠地隊に属しマレー上陸陸軍輸送船団護衛に、続いてパレンバン攻略部隊船団護衛に従事。昭和17年3月、ペナンに進出し同方面にて船団護衛に従事、4月よりシンガポール方面にて行動、ナツナ諸島攻略に参加。昭和17年9月より再びペナンを基地としてシンガポール、サバン方面にて船団護衛に従事していたが昭和20年3月4日マラッカ海峡にてイギリス潜水艦「トレンチャント」及び「テラピン」の攻撃を受け沈没。昭和22年5月3日除籍。 昭和12年度計画。昭和14年5月9日、三菱重工業横浜にて竣工。第9根拠地隊に属しマレー上陸陸軍輸送船団護衛、続いてマラッカ海峡哨戒に従事。さらにアンダマン攻略作戦に参加。昭和17年5月19日に特務艦「朝日」をシンガポールより護衛中、同艦沈没の為、乗員救助に従事。昭和17年6月よりシンガポール方面にて船団護衛に従事。昭和19年7月、第9特根に編入されペナン、サバン方面にて船団護衛に従事。昭和20年3月より香港にて船団護衛後、7月より内海に帰投し終戦を呉で迎えている。戦後は復員輸送に従事後、中国国民政府軍に引き渡され昭和35年まで同海軍が使用していた。 |
基準排水量:291t |
常備排水量:309t |
全 長:56.2m |
幅 :5.6m |
吃 水:2.1m |
主 機:艦本式22号6型ディーゼル機関×2(2軸、2600HP) |
乗 員:59名 |
速 力:20ノット |
航続距離 :14ノットで2000浬 |
兵 装:40mm連装機銃×1基、25mm単装機銃×3基、94式爆雷投射機×2基、 爆雷装填台×2基、爆雷投下軌条1基、爆雷36個、93式水中聴音機、 3式または93式水中探信儀、13号電探 |
備 考:兵装は大戦末期の状態 |
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