1〜3号艇がトップヘビーぎみであった為、それを改良したものである。計画は昭和12年度に計画され13年11月〜14年6月にかけて9隻が完成している。本型は艦橋位置を半デッキ下げ、煙突付近の上部構造物を取り除くなどの重心低減の努力がされていたが反面、船体構造の複雑化を招き量産に不向きな艦になってしまったことは否めない。 |
昭和12年度計画。昭和14年6月15日、大阪鉄工桜島造船にて竣工。開戦時、第2根拠地隊に属しビガン、リンガエン攻略部隊護衛に参加、さらにタラカン、パリクパパン攻略作戦に参加した。昭和17年3月10日、第31特根に編入されマニラ湾封鎖に従事。同年5月1日、呉防備戦隊に編入され佐伯を基地に豊後水道哨戒に従事していた。昭和17年10月15日に第4根に編入されトラックに進出、船団護衛に従事。昭和18年5月に舞鶴に帰投し整備修理後7月よりラバウルに進出し船団護衛に従事中の8月30日にブーゲンビル東方にてアメリカ軍機の攻撃を受け大破。その後、修理の為、横浜に帰投した。昭和19年4月に修理完了しサイパン方面への船団護衛中の5月2日、パラオ北方にて座礁、放棄された。昭和19年11月10日除籍。 昭和12年度計画。昭和14年2月2日、鶴見製鉄造船所にて竣工。開戦時、第2根拠地隊に属しビガン、リンガエン攻略部隊護衛に参加、さらにタラカン、パリクパパン攻略作戦に参加、続いてジャワ攻略部隊に参加した。昭和17年3月10日、第31特根に編入されマニラ湾封鎖作戦、オロンガボ哨戒に従事。同年5月1日、呉防備戦隊に編入され佐伯を基地に豊後水道哨戒に従事していた。昭和17年10月16日より第4根に編入、トラック島付近の船団護衛に従事。昭和18年5月に第1根に編入されたが舞鶴に帰投し修理整備、9月にラバウルに進出し付近の船団護衛、ベララベラ転進作戦、ブカ、ブインへの輸送作戦に参加したが、昭和18年11月6日にブカ西方にてアメリカ軍機の攻撃を受け沈没した。昭和20年9月30日除籍。 昭和12年度計画。昭和14年5月9日、三菱重工業横浜にて竣工。開戦時は11号艇と同行動で第2根拠地隊に属しビガン、リンガエン攻略部隊護衛に参加、さらにタラカン、パリクパパン攻略作戦に参加、続いてジャワ攻略部隊に参加した。昭和17年3月10日、第31特根に編入されマニラ湾封鎖作戦に従事。同年5月1日、呉防備戦隊に編入され佐伯を基地に豊後水道哨戒に従事していた。昭和17年10月16日より第4根に編入、トラック島付近の船団護衛に従事。昭和18年5月、第1根に編入されブインに進出し付近の船団護衛に従事していたが8月1日にアメリカ軍機の攻撃を受け損傷、応急修理後、船団護衛をしながら本土へ帰投し四国造船にて修理を行った。昭和19年3月30日より第30根に編入され5月よりパラオ〜フィリピン間の船団護衛に従事していたが同年7月13日にミンダナオ島東方にて被雷し沈没(資料によっては終戦をパラオで迎えたと書いてあるが間違いだと思われる)。昭和20年9月30日除籍。 |
基準排水量:291t |
常備排水量:309t |
全 長:56.2m |
幅 :5.6m |
吃 水:2.1m |
主 機:艦本式22号6型ディーゼル機関×2(2軸、2600HP) |
乗 員:59名 |
速 力:20ノット |
航続距離 :14ノットで2000浬 |
兵 装:40mm連装機銃×1基、25mm単装機銃×3基、94式爆雷投射機×2基、 爆雷装填台×2基、爆雷投下軌条1基、爆雷36個、93式水中聴音機、 3式または93式水中探信儀、13号電探 |
備 考:兵装は大戦末期の状態 |
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