日本の駆潜艇
(Japanese Navalvessels)

13号型
[19号艇、20号艇、21号艇]

14年度計画によって誕生した駆潜艇で過去の駆潜艇が量産性を考慮に入れず、設計されていたのに比べ、本艦は有事下の量産性の向上が大きな条件とされていた。エンジンは商船用として実績のあった艦本式23号8型ディーゼルが装備され低速は忍ぶところとなり、また商船式の厚板材を使用し構造の簡易化を進め工程の節約を行っていた。後述の28号型も基本的には、この13号艇に準じた設計で多少の簡易化を進めたものである。

19号艇

昭和15年度計画。昭和16年9月20日、播磨造船にて竣工。開戦時は呉防備戦隊に有り、豊後水道の哨戒に従事。昭和17年2月、第1根拠地隊に編入されてセレベス島スターリング湾付近の哨戒に従事。昭和17年3月に第23根拠地隊に編入されてケンダリーの哨戒に従事。昭和17年8月に第11根拠地隊に編入されてサイゴンを基地としてこの方面の船団護衛等に従事した。昭和19年8月、第1海上護衛隊に編入されて本土〜台湾間の船団護衛等に従事、昭和20年2月より鎮海方面にて船団護衛に従事。終戦を呉で迎えているが損傷していたため、昭和23年解体。


20号艇

昭和15年度計画。昭和16年8月20日、玉造船所にて竣工。開戦時は呉防備戦隊に有り、豊後水道の哨戒に従事。昭和17年2月、第1根拠地隊に編入されてセレベス島スターリング湾付近の哨戒に従事。昭和17年3月に第23根拠地隊に編入されてマッカサル方面の船団護衛に従事。昭和17年8月に第11根拠地隊に編入されてパラオ方面の船団護衛等に従事した。昭和18年7月よりペナン方面にて船団護衛に従事していたが同年11月14日にペナン付近でアメリカ海軍潜水艦(不明)と交戦し損傷、昭和19年6月まで整備及び修理を行った。昭和19年8月に第31根拠地隊に編入されてマニラ方面の船団護衛に従事、同年11月にはレイテ輸送作戦に参加したがアメリカ軍艦載機の攻撃を受け損傷。昭和20年1月に第11根拠地隊に編入されてサイゴン方面の船団護衛に従事。昭和20年3月に第1海上護衛隊に編入され船団護衛中、香港にてアメリカ軍機の攻撃を受け損傷、修理後、5月に船団護衛をして呉へ帰投したが修理整備中に終戦を迎えている。昭和23年4〜5月に川南工業浦崎造船所にて解体。


21号艇

昭和15年度計画。昭和16年8月20日、大阪鉄工桜島造船所にて竣工。開戦時は呉防備戦隊に有り、豊後水道の哨戒に従事。昭和17年2月、第1根拠地隊に編入となりバリ島攻略部隊護衛にあたった。昭和17年3月、第23根拠地隊に編入されてセレベス島方面の哨戒に従事。昭和17年8月に第11根拠地隊に編入されたが第4根拠地隊に派遣されてトラック方面にて船団護衛に従事した。昭和18年4月よりペナン方面にて船団護衛に従事。昭和19年1月よりサイゴン方面の船団護衛に従事。昭和19年8月に第1海上護衛隊に編入されて本土〜台湾間の船団護衛に従事。昭和20年3月15日、アメリカ軍艦載機の攻撃を受け損傷。昭和20年4月に第103戦隊に編入されて鎮海方面の船団護衛に従事。終戦を舞鶴で迎え、昭和20年10月5日除籍。その後、復員輸送船に指定。昭和22年10月7日、シンガポールにてイギリスに引き渡し。

基準排水量:438t
常備排水量:460t
全   長:51m
    6.7m
吃   水:2.75m
主   機:艦本式22号8型ディーゼル機関×2(2軸、1700HP)
乗   員:68名
速   力:16ノット
航続距離 :14ノットで2000浬
兵   装:8cm高角砲×1基、13mm連装機銃×1基、25mm単装機銃×3基、
      94式爆雷投射機×2基、爆雷装填台×2基、爆雷投下軌条2基、爆雷36個、
      93式水中聴音機、3式または93式水中探信儀
備   考:兵装は大戦末期の状態


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