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ボイントン中佐 (Gregory Boyington) |
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アメリカで放送された人気TVシリーズの『Baa Baa Black Sheep』を通じて人気のトップに立つ海兵隊のトップエースである。1912年アイダホ生まれでカレッジ時代にレスリングの選手として活躍し、海兵隊空軍に入ってからは、豪胆巧妙な操縦と大酒飲みで知られた名物男だった。1941年にシェンノートの義勇軍「フライングタイガース」に志願してビルマ、中国戦線で6機を撃墜して本国へ期間した。その後にVMF222の隊長に任命されたが、すぐに事故で入院している。暫く南太平洋のエファテでブラブラしていたが、成績不良の持て余し者をかき集めたVFM214を編成して、新鋭のF4Uコルセアをもらい、1943年ソロモン戦線に出動した。同年同月16日、5機を一挙に撃墜したのちスコアはグングン伸び、12月27日のラバウル上空でスコア総計25機に達している。1944年1月3日、3機を撃墜したのち被弾不時着水し、日本潜水艦に拾われ捕虜となり、記録は途絶えた。 |
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フォス少佐 (Joseph J.Foss) |
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1915年サウスダコタ州生まれ。州立大学ではボクシングと陸上競技の名手であった。民間飛行士の資格をとった後1940年海兵隊空軍に入り、1942年10月上旬、苦戦さなかのガダルカナル島に先任将校として着任した。1943年1月15日までに26機を撃墜。その後、本土へ帰還し英雄として各地をPR旅行したのち戦線に復帰したが、空戦の機会はなかった。戦後故郷に帰り、州議会を経て1954年から州知事を務めた。また、アメリカエース協会の初代会長に就任している。 |
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ハンソン中尉 (Robart M.Hanson) |
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ラバウル上空で17日間で20機を撃墜する快記録を立てた後、彗星のように消えたエースパイロット。1920年ラックノウ生まれ。1943年2月操縦過程を経て少尉に任官。教育中に新兵虐めの教官を殴り倒し腕をへしおったことから『殺し屋ボブ』の異名をもらった。1943年夏、ボイントンがひきいるVMF214に配属され、8月6日に初撃墜。10月にVFM215に転属し1944年1月14〜30日まで6回連続で出撃し20機を葬った。その後2月3日の空戦中に行方不明となり戦死と認定された。天才にありがちなことであったが、ハンソンは編隊空戦を嫌い、ほとんど単機空戦に終止している。日本でタレントをしていた「イーデス.ハンソン」は19歳年下の妹にあたる。 |
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ウオルシュ大尉 (Kenneth A.Walsh ) |
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一兵卒から昇進して海兵隊空軍4位にあたる21機を撃墜した異色のエース。1916年ニューヨークの下町ブルックリン生まれ。1933年海兵隊に一兵卒として入り、1942年少尉に任官した。1943年春、最初にF4Uで編成されたVMF124に属してソロモンに進出、半年間に20機を撃墜、大統領から議会名誉勲章を受けている。戦後は輸送機操縦に転じ中佐で退役した。 |
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オルドリッチ大尉 (Donald N.Aldrich) |
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1917年10月24日生まれ。1947年5月事故死。詳細不明。 |
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スミス中佐 (John L.Smith) |
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初期のガダルカナル戦で活躍した海兵隊のエース。1914年オクラホマ州生まれ。州立大学を卒業して海兵隊に入る。当初は砲兵将校であったが、2年後に艦爆ついで戦闘機パイロットに転じた。1942年8月20日、F4F装備のVMF223の隊長としてガダルカナル島のヘンダ−ソン飛行場に進出。翌日21日に零戦1機撃墜をかわきりに19機を撃墜している。なかでも同年8月30日の迎撃空戦では空母翔鶴飛行隊長の新郷英城大尉(不時着生還)を含む零戦4機を撃墜、議会名誉勲章を授けられた。 |
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