ゲルハルト=バルクホルン少佐
Gerhard Barkhorn

ハルトマンに次ぐ第2位のエ-ス。1919年東プロシアのケーニヒスペルク生まれ,1939年空軍に入り,40年8月から2/JG52に所属して「英国の戦い」に参加した。しかし,彼の初撃墜は41年7月2日120回目の出撃の時で,すでに独ソ戦が始まっていた。スロ−スターターのう え,相手を撃墜寸前まで射ってから横にび,手ぶりで落下傘降下をすすめるというユーモア気質の持主でもあったから,その後もスコアはあまり伸びず,8月22日に5機,11月末にやっと10機まで達た。1942年春以降じりじりと撃墜数を伸ばし,5月に7機,6月に16機,7月には31機を落として騎士鉄十字章を受けた。その後10月7日まで一休みして,以後は10月1機,11月7機,12月17機といったペースで12月19日に100機撃墜を突破し,翌年1月11日に樫葉付騎士鉄十字章を受けた。1位のハルトマンと違い1出撃当たりの撃墜数は多くて4機どまりだが,その代り出撃2000回,空戦1104回という恐らく第2次大戦トップの豊富な戦歴でスコアを増やし,11月30日に200機撃墜に達した。さらに44年2月13日にノヴォトニー,ラルに次いで3人目の250機を撃墜し,4月にはハルトマンらとともにヒトラー手ずから剣樫葉付騎士鉄十字章を授けられが,5月31日に272機目を撃墜したところでエアラコプラに撃墜されて3か月入院した。この間に首位をハルトマンに奪われたが,10月下旬から撃墜記録を再開し,翌45年1月5日301機に達した。この時点でJG6の司令に任命されたので,以後撃墜のチャソスがなく,JV44に移って間もなくMe262の事故で負傷したまま敗戦を迎えた。9回撃墜され,1回落下傘降下した経験を持つ。戦後は新生ドイツ空軍に入り,少将で退役した。1983年1月8日ケルン市にて73歳で他界。


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