陸奥屋が『まあ、取り留めの無いお話なぞ(^^;)』を
文章がメチャクチャなのは思ったことをそのまま書いてるからです
m(__)mごめんなさいm(__)m


343空、幻の大戦果 III (それ以後、及び資料が少ないながら最終結果)

●1945年6月22日までの戦果 奄美大島・喜界島空域制空戦闘

今まで1〜3次にわたる奄美大島・喜界島方面の制空戦闘を書いてきたが、戦果・会敵のなかった制空戦闘は省いている。空戦のあった回のみ「第●次」としたが、実際は4/12〜6/22までに6回出撃している。戦闘有無に関わらず下記の表にまとめてみた。なお第四次作戦は表で結果のみとさせてもらった。(※陸奥屋での第三次制空作戦は、出撃で言えば四次にあたる)

日付け及び作戦次数

343空戦果報告

撃墜実数

343空実損失

備 考
4/12第一次奄美大島・喜界島制空

23機

2機

10機

-
4/16第二次奄美大島・喜界島制空

3機

2機

9機

-
4/17第三次奄美大島・喜界島制空

0機

0機

0機
34機?出撃、空戦無
5/4第四次奄美大島・喜界島制空

13機

0機

6機

-
5/25第五次奄美大島・喜界島制空

0機

0機

0機
34機?出撃、空戦無
6/22第六次奄美大島・喜界島制空

7機

2機

4機

-

合  計

46機

6機

29機

-

海軍戦史家の雨倉孝之氏によれば菊水作戦支援における奄美大島・喜界島制空戦闘の戦果として6回出撃し6月22日(月刊「丸」681号[2003年1月号]では6月12日までとしているが誤植だと思われる)までに出撃機数のべ165機、会敵機数約180機、撃墜106機、損失29機としている。これは源田実氏の「源田始末記」からの引用と思われるが、撃墜106機とすれば343空報告の46機の倍以上が不足し空戦の無かった4/17と5/25に合計60機を損失なしに撃墜しなくてはならない。なにを持って雨倉氏(源田氏)は撃墜106機としたのか不明である。

以上のように奄美大島・喜界島制空戦闘での343空の戦果・損失は撃墜6機、損失29機となる。

●最終戦果は?

対B29との空戦は下記表にまとめて掲載する。
日本海軍343空(二代目)の最終戦果は以下の通りであった。

※米軍損失は帰還後廃棄等も含めている。343空の損失は帰還後廃棄は含んでいない。
※上記表と重複がある。

出撃日

343空出撃機数

交戦敵機数等

343空損失実数

米軍損失実数
3月19日

63機

F6F・F4U 67機他

15機

14機(帰還後廃棄含)
4月12日

34機

F6F・F4U 48機

10機

2機
4月15日

2機

F6F 1機(来襲8機)

2機

0機
4月16日

32機

F6F 28機

9機

2機
4月21日

23機+7機

B29

2機

0機
4月22日

14機

B29

0機

0機
4月29日

23機

B29

1機

1機?
5月4日

36機

F6F 14機

6機

0機
5月5日

36機前後

B29

0機

2機
5月7日

36機前後

B29

0機

2機
5月11日

4機

PBM 2機

0機

1機
5月15日

6機

PBM 2機

1機

2機
5月16日

12機

PB4Y 2機

1機

0機
5月17日

11機

PB4Y 2機

2機

0機
5月28日

20機+6機

P47 10機

4機

0機
6月2日

21機

F4U 32機

2機

4機
6月3日

28機

F6F 2機+F4U多数

1機

0機
6月10日

不明

P47 多数

1機

?機
6月22日

31機

F4U 4機+5機

4機

2機
7月2日

20機前後

F4U 8機

4機

1機
7月5日

8機

P51 13機

4機

0機
7月9日

不明

B24

1機

0機
7月24日

21機

F4U+F6F群

6機

4機
8月1日

20機

B24群+P51 4機

2機

0機
8月2日

4機?

小型機?

1機

0機
8月8日

24機

P47+B29群

10機

1機(対空砲火?)
8月12日

1機(試験飛行)

P51 1機

1機

0機

合  計

-

-

90機+他6機?

38機?

優位からの空戦でさえも勝利出来ず対戦闘機戦闘に関しては実際は1度も343空は勝利していない。単純にいえば紫電改の性能が悪くパイロットの腕も悪かったとなるがそうではない。日本海軍パイロットは、ここまで来ても単機空戦の頭がぬけず編隊空戦訓練を積んだ343空も例外では無かった。この為、無線で連携したアメリカ海軍&海兵隊パイロット(それも、この頃になればベテラン揃いである)に空戦半ばから圧倒されることが多かった。アメリカ軍のパイロットは最初の一撃さえ耐えれば後は退避するなり応援を呼んで逆襲することも可能だったのである。

続く予定

参考文献:紫電改入門―最強戦闘機徹底研究 (光人社NF文庫)、局地戦闘機紫電改―海軍航空の終
       焉を飾った傑作機の生涯 〈歴史群像〉、「日本海軍戦闘機隊」(酣燈社)、「源田の剣」(ネコ
       パブリッシング)、強風・紫電・紫電改 世界の傑作機 NO. 53 、「丸」681号


陸奥屋 http://www003.upp.so-net.ne.jp/wowow262/

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