15センチ列車砲

15cmSKL/45im MPLC13auf E-Wagen

15cm列車砲は1936年にはじまったベルサイユ条約破棄にともなう軍備の膨張計画により、1937年より開発がはじまり翌年はやくも10門以上が完成していた。これは砲を海軍用の艦砲を流用したからである。台車は、3軸ボギ-式の低床貨車を強化したもので、射撃時の反動で台車が動くのを防ぐため、台車の側面に2本のアームを出し固定する。砲架部は360度回転が可能で砲は45口径である。しかし15cmという大きさは、列車砲としてはかなり小さい方で威力的に他の火砲と性能的に違いは無く、生産は打ち切られた。
口径:149.3mm、砲身長:5960mm、重量:74000kg、初速:805m/s、最大射程:22500m


17センチ列車砲

17cm K(E)

15cm列車砲以上に威力のある列車砲として第一次大戦中に設計された台車と砲架に40口径17B砲を搭載したものである。台車、砲架ともに15cm砲に似た構造で、360度全周射撃ができるところも同じであった。しかし15cm砲と比べて20パーセント程度射程が伸びたにすぎず、通常火砲でも同様の威力が出せるため1938年で生産中止となった。なお使用された17cm砲は旧式戦艦「ドイッチェラント」搭載砲と同じものである。
口径:173mm、砲身長:6900mm、重量:80000kg、初速:875m/s、最大射程:26800m


20.3センチ列車砲

20.3cm K(E)

ドイツ海軍用としてクルップ.エッセン社が製造した8門の20.3cm砲(SKC/34)を1938年に譲り渡された陸軍が列車化したもの。台車.砲架部は、第一次大戦中に当時の旧式巡洋艦(プリンツアーダルベルト、フリードリヒカ−ル)から取り外し搭載する予定であった21cm列車砲の台車部分を再設計したものであった。外見的な特徴は、このクラスの砲には珍しく方向射界がゼロであることと、砲身が60口径と極端に長いことであった。この列車砲が製作工程に入ってしばらくすると、陸軍は弾薬の共通化という目的から、従来から使用されている211mmという口径に変更する命令がでている。しかし実際には203mm口径のままで製作が進行し、この口径の寿命がきたときに211@砲身に交換する計画となった。このため8本の砲身がクルップ社に発注されたが、1944年に同列車砲6門が連合軍により破壊されてしまったため、211mm砲身は4本しか製作されなかった。
口径:203mm、砲身長:12150mm、重量:86100kg、初速:925m/s、最大射程:36400m


21センチ列車砲

21cm K12(E)

フォン.エーベルト博士の設計により、1918年3月、突如パリ市内に後方120kmから砲弾を打ち込み、連合軍を驚かせた「パリ.ゲシュッツ」は、終戦と同時に秘密保持のため破壊されたが、1920年代ヴェルサイユ条約下で再び極秘研究が開始された。数年の基礎研究の末、1934年にいたって正式にK12(E)として開発がおこなわれた。数々のテストの上、1938年に21cm砲が完成、陸軍に引き渡された。全体に精巧であり「パリ....」が射撃時に固定式になるのに対し、レ−ル上でそのまま射撃できるなど新設計であったが、反面、射撃時には復座のためガーター部分を持ち上げる昇降装置を台車につけたことからくる不便さが不評であったという。そのため1940年に水平平衝装置をつけたタイプが配備されたが、結局この2門のみが生産されたにすぎない。前者を(V)、後者を(N)として区別されており、(N)は、英仏海峡に配備、1940年末に南部イングランドに向けて発砲している。
口径:211mm、砲身長:33300mm、重量:302000mm、初速:1625m/s、最大射程:115000m


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