ソビエトの戦艦( Soviet BattleShips )

ガングート級(Gangut Class)

↑ガングートGangut改装後


↑ペトロパブロフスクPetropavlovsk改装後

↑セヴァストーポリSevastopol改装後

1908年度の帝政ロシア海軍10ヵ年計画により建造されたド級戦艦。イタリアの造船官ヴィットリオ・クニベルティの設計によるイタリア戦艦ダンテ・アリギエーリDante Alighieriの影響を相当に受けている。船体の設計ミスにより建造が遅れ第一次大戦中に完成したがほとんど行動せず、更に戦後のロシア革命により1隻が戦力価値を失い、1922年のソビエト海軍発足時に稼動状態にあったのは3隻のみであった。4隻とも大戦間に大改装を受け艦様が一変した。

ガングート
(Gangut)

1914年12月に竣工(丸 季刊GraphicQuarterly"写真集「世界の戦艦」"によれば1915年1月竣工となっている。)。1925年にオクティアブルスカヤ・レヴォルーティアOktyabrskaya Revolyutsiyaと改名。1931〜1934年に大改装を行い、ボイラーの換装、タービン換装、上部構造物の改装を行い艦様を変えた。1939年11月30日に対フィンランド戦争が始まりフィンランド湾海域にて封鎖、陸上砲撃任務に従事。1941年6月22日の独ソ戦開始において同年8月からはレニングラードに迫ったドイツ軍に対し陸上支援任務に就いた。1941年9月21〜24日の間にドイツ空軍の急降下爆撃機により中型爆弾6発の命中を受け小破、1942年4月4〜5日の空襲により爆弾4発の命中を受け中破。1942年に名前を再度ガングートGangutに命名。以後1944年1月にレニングラードの包囲が解けるまで陸上支援任務に従事。1944年6月15日にヴォーボルグ湾に進出し上陸作戦を支援。1958年解体(丸 季刊GraphicQuarterly"写真集「世界の戦艦」"によれば1956年)。

ペトロパブロフスク
(Petropavlovsk)

1914年12月に竣工(丸 季刊GraphicQuarterly"写真集「世界の戦艦」"によれば1915年11月竣工となっている。)。1921年にマラートMaratと改名。1928〜1931年に第一次5ヵ年計画により大改装を行い、ボイラーの換装、タービン換装、上部構造物の改装を行い艦様を変えた。1939年11月30日に対フィンランド戦争が始まりフィンランド湾海域にて封鎖、陸上砲撃任務に従事。1941年6月22日の独ソ戦開始において同年8月からはレニングラードに迫ったドイツ軍に対し陸上支援任務に就いた。1941年9月16日にドイツ陸軍の砲撃により15cmクラスの砲弾が命中し小破、同9月23日にドイツ空軍急降下爆撃機群の攻撃により1t爆弾等が艦首に命中しクロンスタット軍港内で大破着底。しかしながら上甲板は水上にあったため第3、4砲塔の射撃(後に第2砲塔も使用可能)により1944年1月にレニングラードの包囲が解けるまで陸上支援任務に従事。1942年に再度ペトロパブロフスクPetropavlovskと改名(丸 季刊GraphicQuarterly"写真集「世界の戦艦」"によれば1943年となっている)。第二次大戦後、砲術練習艦となりヴォルコフVolkhovと命名、1953年解体。

ポルタワ
(Poltava)

1914年12月に竣工。ロシア革命後、整備されないまま荒廃状態で1922年に火災事故を起こし再起不能となった。1925年除籍の上、実験艦艇となる。1926年にフルンゼFrunzeと改名。ネヴァ河口にて座礁状態であったものを1941年にクロンスタット軍港に曳航し閉鎖船として使用。1956年解体(1923年時点で解体され主砲等重要部品は陸揚げし船体のみハルクとされていたと思われる)。

セヴァストーポリ
(Sevastopol)

1914年11月に竣工。1921年3月にパリスカヤ・コンナムParizhkaya Kommunaと改名。1936〜1939年に大規模改装を行い重油専用燃焼缶の換装、前後艦橋構造物の大型化、観測機揚収用大型クレーンの設置、バルジの設置(このため他の同型艦より幅が5.4mほど大きい)を行った。1941年6月22日の独ソ開戦後は主に黒海を往復する船舶の護衛に従事していたがセヴァストポル要塞包囲戦が始まると陸上支援に従事した。1941年10月に軍評議会の命令によりセヴァストポル方面より撤収しコーカサス諸港より作戦、1942年3月までクリミヤ半島各地に頻繁に出撃しドイツ軍陣地の砲撃、負傷者移送に従事した。それ以後はポチにて砲身交換や修理の為、在泊していたが工程は進展せずそのまま終戦を迎えた。1943年艦名を再度セヴァストーポリSevastopolとした。戦後改修作業が完了し1957年に解体。

基準排水量 23360t (23606tの資料もある)
全   長 181.2m
  幅   26.6m
吃   水 8.4m
機   関 4軸 42000HP(パーソンズ式タービン)
乗   員 1126名
速   力 23ノット
兵   装 305mm砲三連装砲×4基、120mm単装砲×16基、
       47mm単装砲×4基、457mm水中魚雷発射管×4門
備   考 上記要目は竣工時のもの。改修後、一部排水量や寸法が異なったものとなった。

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