日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

海大5型
Kaidai Type V

[伊165、伊166、伊67]
(I 165, I 166, I 67)

大正13年に軍令部が建造要求した潜水艦28隻のうち予算化したものは昭和2年に建造決定がなされた『海大型』3隻を含む4隻のみであった。これにより建造されたものが『海大5型』である。本艦は従来の3型系列の艦型を印新して推進効率を上げ更に速力アップを狙い、兵装も搭載魚雷数には変わりは無いが、あらたに八八式無気泡発射管が採用され、備砲も50口径八八式10cm高射砲を搭載、機銃もビッカース式12mm機銃が追加された。また測距儀も新型となり、水中聴音機も以前のKチューブから、アメリカのサブマリンシグナル社よりMV式水中聴音機が購入され装備されている。

伊65伊165
(I 65→I 165)

昭和2年度計画。昭和7年12月1日に佐世保工廠にて竣工。佐世保鎮守府に編入。昭和16年12月5日に第5潜水艦戦隊第30潜水隊に所属し三亜港を出航後、マレー作戦に参加(9日にイギリス艦隊を発見報告)。ジャワ方面にて行動し商船2隻撃沈、その後昭和17年2月28日までペナンより印度洋セイロン島方面で通商破壊戦に従事(商船3隻撃沈)。昭和17年5月14日〜6月26日までミッドウエー海戦参加のため同方面で行動(昭和17年5月20日、伊号第165と改名)、その後西南方面艦隊に配属され昭和17年7月22日より佐世保よりペナン経由、印度洋にて通商破壊戦に活躍した。昭和18年3月5日佐世保に帰投後、整備、訓練に従事、昭和18年8月26日、呉よりペナンを経て再び印度洋での作戦に従事した。昭和19年3月25日に第8潜水戦隊に編入、同年5月25日よりスラバヤを経てオーストラリア方面で行動している。その後、スラバヤ、シンガポール経由で香港に帰投、修理及び整備を行い昭和19年10月17日佐世保に帰投、昭和19年12月15日に呉潜水戦隊19潜水隊に編入、さらに昭和20年4月1日第6艦隊第34潜水隊に編入され、同年6月15日に『回天』を搭載しマリアナ方面に出撃したがアメリカ軍哨戒爆撃機(海兵隊所属)の攻撃を受け沈没。同年9月15日除籍。

伊66伊166
(I 66→I 166)

昭和2年度計画。昭和7年11月10日に佐世保工廠にて竣工。佐世保鎮守府に編入。昭和16年12月5日に第5潜水艦戦隊第30潜水隊に所属し三亜港を出航後、北ボルネオ方面の偵察に従事し『オランダ潜水艦K16』を撃沈。その後昭和17年3月2日までカムラン湾を経てベンガル湾、さらにペナンを経てセイロン島付近で行動。昭和17年5月15日〜6月26日までミッドウエー海戦参加のため同方面で行動(昭和17年5月20日、伊号第166と改名)、その後西南方面艦隊に配属され昭和17年7月22日より昭和18年1月19日の佐世保帰投までペナン経由、セイロン方面にて通商破壊戦に活躍した。さらにスラバヤを経て整備後、昭和18年9月25日よりペナンを基地として印度洋通商破壊戦に従事。昭和19年3月25日に第8潜水戦隊に編入。昭和19年7月17日、ペナンよりシンガポールへ回航途中のマラッカ海峡でイギリス潜水艦「テレマカス」の雷撃を受け沈没した。昭和19年9月10日除籍。

伊67
(I 67)

昭和2年度計画。昭和7年8月8日に三菱神戸造船所にて竣工(川崎重工の資料有り)。呉鎮守府に編入。昭和15年8月29日に南鳥島南方海域にて接触訓練中、急速潜航の際、浸水して沈没。昭和15年11月1日に除籍。

基準排水量:1575t(水上)/2330t(水中)
常備排水量:1705t
全   長:97.7m
    8.2m
吃   水:4.7m
主   機:ズルザー式3号 ディーゼル機関×2(2軸、水上6000HP、水中1800HP)
乗   員:62名
速   力:水上20.5ノット/水中8.2ノット
航続距離 :10ノットで10000浬(水上)/3ノットで60浬(水中)
兵   装:50口径10cm単装砲×1、12mm単装機銃×1、7.7mm単装機銃×1、
      53cm魚雷発射管×4基、同艦尾×2基(合計魚雷14本) 
備   考:主蓄電池は一号五型240個(エボナイトクラッド採用)


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