昭和5年の第一次補充計画により建造された潜水艦。ロンドン条約により補助艦にも排水量制限条項が設けられたため排水量は1400tに縮小されていたが、満載排水量、水中排水量は先のV型を若手上回っていた。エンジンは日本が独自開発した艦本式一号八型複動ディーゼルで一缶600HPを達成し合計4800HPのものを2基搭載、9600HPを発揮、速力はこれにより特殊(過負荷状態)で水上において24.02ノットを記録した(当時の世界記録)。しかしこのエンジンも開発過程に無理があり当初は故障が頻発し、安定したのは昭和13年以降であったという。全艦とも太平洋戦争で戦没した。 |
(I 68→I 168) 昭和6年度計画。昭和9年7月31日に呉工廠にて竣工。呉鎮守府に編入。昭和16年11月11に第3潜水艦戦隊第12潜水隊に所属、昭和16年11月23日よりクエゼリンを経てハワイ作戦に参加、昭和17年6月2日にミッドウエー偵察、昭和17年6月5日にミッドウエー島を砲撃、昭和17年6月7日に大破漂流中のアメリカ海軍航空母艦『ヨークタウン』及び横付け中のアメリカ海軍駆逐艦『ハマン』を雷撃により撃沈。修理整備後昭和17年12月22日(トラック着)より昭和18年1月14日の呉入港までガダルカナル方面への輸送作戦に従事。昭和18年3月13日より5月9日までキスカ、アッツ方面で行動した。整備後昭和18年7月12日(呉出港)よりトラックを経てラバウルへ向かう途中の同年7月27日にラバウル北方においてアメリカ海軍潜水艦『スキャップ』の雷撃を受け沈没。昭和18年10月15日除籍。 |
(I 69→I 169) 昭和6年度計画。昭和10年9月28日に三菱神戸にて竣工。呉鎮守府に編入。昭和16年11月11に第3潜水艦戦隊第12潜水隊に所属、昭和16年11月23日よりクエゼリンを経てハワイ作戦に参加、昭和17年1月21日にミッドウエー偵察、昭和17年2月9日にミッドウエー島を砲撃。その後クエゼリンを経て、昭和17年5月24日よりミッドウエー作戦に参加、7月よりクエゼリンを出港後オーストラリア方面に行動した。昭和18年1月15日よりキスカ方面へ輸送作戦に従事(6月まで)。昭和18年10月3日よりトラックを経て再度オーストライア方面で行動した(12月9日まで)。昭和19年1月31日よりトラックを経てブカ、ブイン輸送に従事、昭和19年3月22日にトラックに到着。昭和19年4月4日にアメリカ軍のトラック空襲を避け沈降中に事故により沈没。昭和19年6月10日除籍。 |
(I 70) 昭和6年度計画。昭和10年11月9日に佐世保工廠にて竣工。呉鎮守府に編入。昭和16年11月11に第3潜水艦戦隊第12潜水隊に所属後、ハワイ作戦従事のため佐伯を出港、クエゼリンを経てハワイ作戦参加中の12月10日に同諸島付近でアメリカ軍艦載機(アメリカ海軍航空母艦「エンタープライズ」所属機)の攻撃を受け沈没。昭和17年3月10日に除籍。 |
基準排水量:1400t(水上)/2440t(水中) |
常備排水量:1785t |
全 長:104.7m |
幅 :8.2m |
吃 水:4.58m |
主 機:艦本式一号八型複動ディーゼルディーゼル機関×2(2軸、水上9000HP、水中1800HP) |
乗 員:68名 |
速 力:水上23ノット/水中8.2ノット |
航続距離 :10ノットで14000浬(水上)/3ノットで65浬(水中) |
兵 装:50口径10cm単装砲×1、12mm単装機銃×1、7.7mm単装機銃×1、 53cm魚雷発射管×4基、同艦尾×2基(合計魚雷14本) |
備 考:主蓄電池は二号三型236個 |
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