昭和14年度のC計画で建造された海大型の最終系列潜水艦。艦型は海大VIbに準じたもので、潜行時間の短縮及び操縦性の容易さに力を入れて製作されており排水量は多少増大していたが基本的には変更が少なかった。発射管は八八式を改良した九五式無気泡発射管を装備、これは海水ポンプのピストン作動の衝撃で故障が懸念された八八式を改良したものでピストン無しで発射をし発射空気を魚雷が艦外に出る直前に特殊な水分離器を通して艦内に放出するようにしたものであった。 |
伊176 (I 176)
昭和14年度計画。昭和17年8月4日、呉工廠にて竣工、当日呉鎮守府籍に編入、更に第3潜水戦隊第11潜水隊に編入された。昭和17年9月10日にトラックへむけ呉を出港、さらにトラックを経てソロモン方面へと向かった。昭和17年10月20日、アメリカ海軍重巡洋艦「チェスター」を発見、攻撃し損傷を与えた。その後ラバウルを経てトラックに帰港、昭和18年2月17日までガダルカナル輸送作戦へ従事、更に3月16日よりラエへの輸送作戦に従事したが18日に空襲により大破、ラバウル、トラックを経て4月7日呉に帰還し修理を行った。昭和18年7月2日トラックへ向け呉を出港、経由して16日にラバウルへ到着し、ラエ、シオへの輸送作戦に従事した。昭和18年11月26日に呉に帰港、整備修理を行い昭和19年3月20日マーシャル方面へ出港し4月20日にトラックへ帰港。そこから南東方面への輸送作戦、ブカへの輸送作戦に従事していたが昭和19年5月16日ブカ南方にてアメリカ海軍駆逐艦「ハッガード」及び「フランクス」の攻撃を受け沈没した。昭和19年6月11日除籍。 |
伊177 (I 177)
写真無し
昭和14年度計画。昭和17年12月28日に川崎重工にて竣工、佐世保鎮守府籍・呉潜水戦隊に編入された。昭和18年2月25日に呉潜水戦隊第22潜水隊に編入。昭和18年3月15日第3潜水戦隊第22潜水隊に編入。昭和18年3月30日にトラックへ向け呉を出港、6月まで南太平洋方面、オーストラリア東方海域、ソロモン方面にて行動した。昭和18年7月24日〜昭和19年1月までラバウルよりシオ、ラエ方面への輸送作戦に従事。昭和19年1月27日、ラバウル、トラックを経て佐世保に帰投。昭和19年3月末〜6月末まで大湊を基地としてアリューシャン方面、千島東方にて行動。昭和19年9月19日、呉よりフィリピン東方海域へ出港、同年9月24日にパラオ方面の敵攻撃に向かったが、10月3日パラオ北方海域にてアメリカ海軍護衛駆逐艦「サミュエル・S・マイルス」の攻撃を受け沈没した。昭和20年3月1日除籍。 |
伊178 (I 178)
写真無し
昭和14年度計画。昭和17年12月26日に三菱神戸造船所にて竣工し佐世保鎮守府籍に編入、同日、呉潜水戦隊に編入。昭和18年2月15日呉潜水戦隊第22潜水隊に編入。昭和18年3月15日、第3潜水戦隊第22潜水隊に編入。昭和18年3月30日トラックへ向け呉を出港(4月7日着)、トラックより南太平洋海域にて行動し(5月18日トラック着)、更にオーストラリア東方海域に行動していたが昭和18年5月下旬に消息不明となった。昭和18年9月1日除籍。 |
伊179 (I 179)
昭和14年度計画。昭和18年6月18日に川崎重工にて竣工し佐世保鎮守府籍に編入、第1艦隊第11潜水戦隊に編入。昭和18年7月14日に伊予灘にて哨戒訓練中に事故により沈没。昭和19年4月15日除籍。昭和31年〜32年に引き揚げされ呉にて解体。 |
基準排水量 |
1630t(水上)/2602t(水中) |
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主 機 |
艦本式1号乙8型複動ディーゼル機関×2 (2軸、水上8000HP、水中1800H) |
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航 続 距 離 |
16ノットで8000浬(水上)/5ノットで50浬(水中) |
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兵 装 |
45口径12cm単装砲×1、25mm連装機銃×1 53cm魚雷発射管×6基(合計魚雷12本) |
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