日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

乙型(イ15型)
B Type

[伊29、伊30、伊31]
(I 29, I 30, I 31)

昭和12年度に6隻、14年度に14隻が計画され建造された潜水艦で、基本的には甲型より旗艦設備を除いた艦である。甲型との違いは旗艦設備を除いたことによる排水量の減少と艦橋構造物が小型になったこと、25@連装機銃が1基になったことくらいであり他は甲型に準じていた(他に速力が少しながら向上、航続距離がいくぶん短い)。一番戦争の激しい時期に完成し投入されただけにその優秀差を発揮しイ19による空母「ワスプ」撃沈、駆逐艦「オブライエン」大破(後沈没)、戦艦「ノースカロライナ」小破、イ26による空母「サラトガ」大破、軽巡洋艦「ジュノー」撃沈、イ29及びイ30による訪独行(帰還途中に沈没)など大きな戦果を挙げている。

伊29
(I 29)

昭和14年度計画。昭和17年2月27日に横須賀工廠にて竣工。昭和17年4月よりオーストラリア東海岸にて交通破壊作戦に従事、8月よりインド洋方面にて行動、商船4隻撃沈。昭和17年11月より昭和18年8月までアフリカ東海岸域とインド洋にて交通破壊作戦に従事し、その後、呉に帰投。昭和18年11月にドイツ訪問潜水艦として呉を出港、昭和19年3月11日にフランスのロリアン港に到着、同年4月16日に同港を出港して7月にシンガポールに到着。7月22日に同港を出港し呉に向かったが7月26日にアメリカ海軍潜水艦「ソードフィッシュ」の雷撃を受けバシー海峡付近で沈没。昭和19年10月10日除籍。

伊30
(I 30)

昭和14年度計画。昭和17年2月28日に呉工廠にて竣工。昭和17年4月にインド洋要地等の偵察に従事。ドイツ訪問潜水艦として昭和17年8月5日フランスのロリアン港に到着、同年8月22日同港を出港、10月13日にシンガポールに到着、即日出港し呉に向かったが港外の機雷に触れ沈没(搭乗100名のうち13名戦死、入港時は満潮であったので機雷に触れなかったが出港時は干潮であった為、機雷に触れた)。昭和19年4月15日除籍。昭和34年に引き上げられ解体。

伊31
(I 31)

昭和14年度計画。昭和17年2月6日に横須賀工廠にて竣工。昭和17年8月15日に呉を出港、ソロモン方面で行動、その後ショートランド、トラックを基地として各方面の偵察、ガダルカナル輸送作戦に従事。昭和18年1月4日に呉帰投、修理整備の後同年2月25日よりアリューシャン方面で行動した。昭和18年5月13日にキスカ島への輸送作戦に成功、帰投中にアッツ島付近でアメリカ艦隊を攻撃したが駆逐艦「エバワード」等の攻撃を受け沈没。昭和18年8月1日除籍。

基準排水量:2198t(水上)/3654t(水中)
常備排水量:2584t
全   長:108.7m
    9.3m
吃   水:5.14m
主   機:艦本式二号十型複動ディーゼル機関×2(2軸、水上12400HP、水中2000HP)
乗   員:94名
速   力:水上23.6ノット/水中8ノット
航続距離 :16ノットで14000浬(水上)/3ノットで96浬(水中)
兵   装:40口径14cm単装砲×1、25mm連装機銃×1
      53cm魚雷発射管×6基(合計魚雷17本) 
備   考:●安全潜航深度は100mに設定。


日本海軍潜水艦が終戦までに撃沈した商船、貨物船等の船は184隻907万トン。その内、乙型の戦果はトン換算でその内42%だったと言われている。また伊27の戦果は84万トン(日本潜水艦ではベストスコア)でアメリカ海軍トップの「フラッシャー」の戦果(100万トン)と遜色ありませんでした。

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