日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

乙型(イ15型)
B Type

[伊32、伊33、伊34]
(I 32, I 33, I 34)

昭和12年度に6隻、14年度に14隻が計画され建造された潜水艦で、基本的には甲型より旗艦設備を除いた艦である。甲型との違いは旗艦設備を除いたことによる排水量の減少と艦橋構造物が小型になったこと、25@連装機銃が1基になったことくらいであり他は甲型に準じていた(他に速力が少しながら向上、航続距離がいくぶん短い)。一番戦争の激しい時期に完成し投入されただけにその優秀差を発揮しイ19による空母「ワスプ」撃沈、駆逐艦「オブライエン」大破(後沈没)、戦艦「ノースカロライナ」小破、イ26による空母「サラトガ」大破、軽巡洋艦「ジュノー」撃沈、イ29及びイ30による訪独行(帰還途中に沈没)など大きな戦果を挙げている。

伊32
(I 32)

写真無し

昭和14年度計画。昭和17年4月26日に佐世保工廠にて竣工。昭和17年6月よりオーストラリア方面にて行動し続いてソロモン方面の交通破壊作戦に従事。昭和17年12月より昭和18年5月までブナ方面の輸送作戦、南太平洋において交通破壊作戦に従事。昭和18年9月より11月まではラエへの輸送作戦、オーストラリア東海岸海域での交通破壊作戦を行った。昭和19年3月15日にトラックを出港しマーシャル東方(ウオッゼ付近)にて行動中の3月23日にアメリカ機動部隊発見の通信を最後に3月24日にアメリカ海軍駆逐艦「マンラブ」等の攻撃(資料によっては駆逐艦名が「PC1135」となっている)を受け沈没。昭和19年6月10日除籍。

伊33
(I 33)

昭和14年度計画。昭和17年6月10日に三菱神戸にて竣工。昭和17年8月15日よりソロモン方面にて行動、9月25日にトラックに帰投したが翌26日に浦上丸に横付け修理中に事故により沈没(死者33名)。昭和17年12月29日に引き上げられ昭和18年3月2日、日豊丸に牽引されて呉に向かい修理を行った。その後訓練に従事していたが昭和19年6月13日に伊予灘で事故により沈没(92名戦死)。昭和19年8月10日除籍。昭和28年に引き上げられ解体された。

伊34
(I 34)

写真無し

昭和14年度計画。昭和17年8月31日に佐世保工廠にて竣工。昭和17年11月28よりキスカ島への輸送作戦、その後昭和18年7月までアリューシャン方面への哨戒を行った。その後ドイツ訪問潜水艦とされ昭和18年10月13日に呉を出港、シンガポール、ペナン経由でドイツへ向かう途中の同年11月13日にイギリス海軍潜水艦「トウラス」の雷撃を受けペナン島沖で沈没。昭和19年1月5日除籍。昭和37年に引き上げられ解体。

基準排水量:2198t(水上)/3654t(水中)
常備排水量:2584t
全   長:108.7m
    9.3m
吃   水:5.14m
主   機:艦本式二号十型複動ディーゼル機関×2(2軸、水上12400HP、水中2000HP)
乗   員:94名
速   力:水上23.6ノット/水中8ノット
航続距離 :16ノットで14000浬(水上)/3ノットで96浬(水中)
兵   装:40口径14cm単装砲×1、25mm連装機銃×1
      53cm魚雷発射管×6基(合計魚雷17本) 
備   考:●安全潜航深度は100mに設定。


日本海軍潜水艦が終戦までに撃沈した商船、貨物船等の船は184隻907万トン。その内、乙型の戦果はトン換算でその内42%だったと言われている。また伊27の戦果は84万トン(日本潜水艦ではベストスコア)でアメリカ海軍トップの「フラッシャー」の戦果(100万トン)と遜色ありませんでした。

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