日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

乙型(イ15型)
B Type

[伊35、伊36、伊37]
(I 35, I 36, I 37)

昭和12年度に6隻、14年度に14隻が計画され建造された潜水艦で、基本的には甲型より旗艦設備を除いた艦である。甲型との違いは旗艦設備を除いたことによる排水量の減少と艦橋構造物が小型になったこと、25@連装機銃が1基になったことくらいであり他は甲型に準じていた(他に速力が少しながら向上、航続距離がいくぶん短い)。一番戦争の激しい時期に完成し投入されただけにその優秀差を発揮しイ19による空母「ワスプ」撃沈、駆逐艦「オブライエン」大破(後沈没)、戦艦「ノースカロライナ」小破、イ26による空母「サラトガ」大破、軽巡洋艦「ジュノー」撃沈、イ29及びイ30による訪独行(帰還途中に沈没)など大きな戦果を挙げている。

伊35
(I 35)

昭和14年度計画。昭和17年8月31日に三菱神戸造船所にて竣工。昭和17年12月2日よりアリューシャン方面の交通破壊作戦に従事、キスカ方面への輸送作戦に6回従事。昭和18年10月11日にトラックを出港しギルバート諸島方面に行動していたが、同月22日にアメリカ艦隊発見の報告後、23日にアメリカ海軍駆逐艦「ミード」及び「フレージア」の攻撃を受け浮上砲戦後「フレージア」に衝突し沈没。昭和19年4月30日除籍。

伊36
(I 36)

写真無し

昭和14年度計画。昭和17年9月30日に横須賀工廠にて竣工。昭和18年1月1日よりソロモン方面に進出、ガダルカナル島等、ニューギニア方面への輸送作戦に従事。昭和18年6〜8月はアリューシャン方面の作戦に従事していた。昭和18年9月よりハワイ方面の偵察の為、横須賀を出港、10月17日にハワイ偵察を行った(偵察機の回収はできず)。昭和19年よりスルミ、マーシャル、トラック方面の輸送作戦に従事、その後『回天』搭載艦となり、同年11月20日及び昭和20年1月12日にウルシー攻撃を行った。昭和20年4月より沖縄方面に出撃し輸送船3隻を撃沈、同年6月にはマリアナ方面へ出撃。昭和20年7月6日、本土帰投しそのまま終戦を迎えた。昭和20年11月30日除籍。昭和21年4月1日五島列島沖にて海没処分。

伊37
(I 37)

昭和14年度計画。昭和18年3月10日に呉工廠にて竣工。昭和18年6月8日、インド洋、アラビア海方面の交通破壊作戦に従事(商船2隻撃沈)、同年9月からアフリカ東海岸方面にて交通破壊作戦(油槽船など5隻撃沈)に従事。昭和19年4月ペナン沖にて触雷し損傷、修理後8月に本土に回航されて『回天』搭載艦になった。昭和19年11月8日、回天特別攻撃隊として呉を出港、パラオ島コスソル水道在泊艦艇の攻撃へ向かったが11月19日にパラオの北方20カイリにてアメリカ海軍護衛駆逐艦「コンクリン」及び「マッコイ.レイノルズ」の攻撃を受け沈没した。昭和20年3月10日除籍。

基準排水量:2198t(水上)/3654t(水中)
常備排水量:2584t
全   長:108.7m
    9.3m
吃   水:5.14m
主   機:艦本式二号十型複動ディーゼル機関×2(2軸、水上12400HP、水中2000HP)
乗   員:94名
速   力:水上23.6ノット/水中8ノット
航続距離 :16ノットで14000浬(水上)/3ノットで96浬(水中)
兵   装:40口径14cm単装砲×1、25mm連装機銃×1
      53cm魚雷発射管×6基(合計魚雷17本) 
備   考:●安全潜航深度は100mに設定。


日本海軍潜水艦が終戦までに撃沈した商船、貨物船等の船は184隻907万トン。その内、乙型の戦果はトン換算でその内42%だったと言われている。また伊27の戦果は84万トン(日本潜水艦ではベストスコア)でアメリカ海軍トップの「フラッシャー」の戦果(100万トン)と遜色ありませんでした。

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