日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

乙型改1(伊40型)
Modified B Type 1

[伊40、伊41、伊42]
(I 40, I 41, I 42)

昭和16年度計画の乙型。開戦後の起工となった為、機関を入手が容易な艦本式1号甲10型に変更(水上速力は23.5ノットを維持)、内殻の材質もDS鋼材となり量産性を向上させている。竣工が昭和18年後半からとなった為、損失が相次ぎ昭和20年4月までに全艦が戦没した。

伊40
(I 40)

写真無し

昭和16年度計画。昭和18年7月31日に呉工廠にて竣工し横須賀鎮守府に編入(艦長の渡辺勝次少佐着任)。昭和18年10月31日に第1潜水戦隊第2潜水隊に編入。昭和18年11月13日に横須賀を出港し同年同月19日にトラックへ入港、整備補給後の22日出港しギルバート諸島海域に向かったが消息不明となる。昭和19年2月21日マキン付近で沈没と認定された。昭和19年4月30日除籍。

伊41
(I 41)

写真無し

昭和16年度計画。昭和18年9月18日に呉工廠にて竣工し横須賀鎮守府に編入、艦長の松田守少佐着任。昭和18年12月15日異動により艦長松倉光馬少佐着任。昭和18年12月20日、第1潜水戦隊第15潜水隊に編入。昭和18年12月29日横須賀を出港し、その後翌年4月25日帰港するまでラバウルを基地としてブインへの輸送作戦に従事。昭和19年5月よりニューギニア北方方面の索敵に従事。昭和19年6月24日にグアムより飛行機搭乗員106名を収容し7月1日に呉へ帰投。昭和19年8月5日異動により艦長近藤文武少佐着任。昭和19年10月19日、呉を出港しフィリピン東方海域に進出、11月3日にアメリカ海軍軽巡洋艦「レノ」を発見、雷撃し損傷をあたえた。昭和19年11月12日にフィリピン東方海域にてアメリカ海軍護衛空母「アンツィオ」の艦載機と同海軍護衛駆逐艦「ローレンス.C.テーラー」の攻撃を受け沈没。昭和19年12月2日沈没と認定。昭和20年3月10日除籍。

伊42
(I 42)

写真無し

昭和14年度計画。昭和18年11月3日に呉工廠にて竣工し横須賀鎮守府に編入、艦長の小川綱嘉少佐着任。昭和19年1月31日に第6艦隊第15潜水戦隊に編入。昭和19年2月12日、横須賀を出港し東カロリン方面にて索敵任務に従事。昭和19年3月サイパンを経てトラックに入港、その後パラオに入港し輸送人員等を搭載し3月23日にラバウルに向け出港。出港当日、アメリカ海軍潜水艦「タニー」の雷撃を受け沈没。昭和19年4月30日除籍。

基準排水量:2230t(水上)/3700t(水中)
常備排水量:2624t
全   長:108.7m
    9.3m
吃   水:5.2m
主   機:艦本式一号十型複動ディーゼル機関×2(2軸、水上11000HP、水中2000HP)
乗   員:94名
速   力:水上23.5ノット/水中8ノット
航続距離 :16ノットで14000浬(水上)/3ノットで96浬(水中)
兵   装:40口径14cm単装砲×1、25mm連装機銃×1
      53cm魚雷発射管×6基(合計魚雷17本) 
備   考:●安全潜航深度は100mに設定。


日本海軍潜水艦が終戦までに撃沈した商船、貨物船等の船は184隻907万トン。その内、乙型の戦果はトン換算でその内42%だったと言われている。また伊27の戦果は84万トン(日本潜水艦ではベストスコア)でアメリカ海軍トップの「フラッシャー」の戦果(100万トン)と遜色ありませんでした。

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