日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

乙型改1(伊40型)
Modified B Type 1

[伊43、伊44、伊45]
(I 43, I 44, I 45)

昭和16年度計画の乙型。開戦後の起工となった為、機関を入手が容易な艦本式1号甲10型に変更(水上速力は23.5ノットを維持)、内殻の材質もDS鋼材となり量産性を向上させている。竣工が昭和18年後半からとなった為、損失が相次ぎ昭和20年4月までに全艦が戦没した。

伊43
(I 43)

写真無し

昭和16年度計画。昭和18年11月5日に佐世保工廠にて竣工し横須賀鎮守府に編入(艦長の遠藤忍中佐着任)。昭和19年2月9日より呉を出港しトラックへの輸送作戦に従事(同年2月11日に第6艦隊第15潜水隊へ編入)。昭和19年2月13日にサイパン入港、翌日出港し16日にトラック島に到着予定だったが15日にアメリカ海軍潜水艦「アスプロ」の雷撃を受け沈没。昭和19年4月30日除籍。

伊44
(I 44)

昭和16年度計画。昭和19年1月31日に横須賀工廠にて竣工し横須賀鎮守府に編入、艦長の横田稔中佐着任。昭和19年4月28日に第6艦隊第15潜水隊に編入。昭和19年5月15日に呉を出港しニューアイルランド北東海域に進出、27日にアメリカ軍機の攻撃を受け小破、6月15日に呉へ帰投し修理を行った。昭和19年9月16日異動により艦長の川口源兵衛大尉着任。昭和19年10月19日に呉を出港したが事故により22日に呉に帰投、回天搭載艦に改装を行った。昭和20年2月21日に呉を回天千早隊として出港(硫黄島海域)したが発進させず帰投。昭和20年3月17日異動により艦長増沢清司少佐着任。昭和20年4月4日に呉を回天多々良隊として沖縄海域に出港したが18日にアメリカ海軍艦載機及び、駆逐艦「ヒーヤーマン」、「マクコード」の攻撃を受け沈没。出港昭和20年6月10日除籍。

伊45
(I 45)

写真無し

昭和16年度計画。昭和18年12月28日に佐世保工廠にて竣工し横須賀鎮守府に編入、艦長の田上明次中佐着任。昭和19年3月25日に第6艦隊第15潜水隊に編入、同日に呉よりマーシャル方面へ出港。昭和19年4月5日に爆撃を受け損傷、15日に横須賀へ入港し修理を行った。昭和19年6月10日異動により艦長関戸好密中佐着任。昭和19年6月28日に呉を出港、テニアンへ運砲筒輸送を行う予定であったが失敗、7月28日に横須賀入港。昭和19年9月5日、異動により艦長の河島守大尉着任。昭和19年10月13日にレイテ海域向かう為、呉を出港したが10月28日に、フィリピン東方海域にてアメリカ海軍駆逐艦「グリッドリー」の攻撃を受け沈没。昭和20年3月10日除籍。

基準排水量:2230t(水上)/3700t(水中)
常備排水量:2624t
全   長:108.7m
    9.3m
吃   水:5.2m
主   機:艦本式一号十型複動ディーゼル機関×2(2軸、水上11000HP、水中2000HP)
乗   員:94名
速   力:水上23.5ノット/水中8ノット
航続距離 :16ノットで14000浬(水上)/3ノットで96浬(水中)
兵   装:40口径14cm単装砲×1、25mm連装機銃×1
      53cm魚雷発射管×6基(合計魚雷17本) 
備   考:●安全潜航深度は100mに設定。

伊40型の章、終了。


日本海軍潜水艦が終戦までに撃沈した商船、貨物船等の船は184隻907万トン。その内、乙型の戦果はトン換算でその内42%だったと言われている。また伊27の戦果は84万トン(日本潜水艦ではベストスコア)でアメリカ海軍トップの「フラッシャー」の戦果(100万トン)と遜色ありませんでした。

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