日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

丙型改(伊52型)
Modified C Type

[伊52(二代目)、伊53(二代目)、伊55(二代目)]
(I 52, I 53, I 55)

昭和16年度計画で建造された潜水艦。基本的には計画番号のS37Dが示す通り乙型船体を用いて航空兵装を取り去り14cm単装砲を2基搭載したものであった。機関は他の戦時急造潜水艦と同様に艦本式22号10型となっている為、水上速力は17.7ノットに低下したが航続距離は延びていた。

伊52(二代目)
(I 52)

写真無し

昭和16年度計画。昭和18年12月8日に呉工廠にて竣工し呉鎮守府籍に編入、艦長の宇野亀雄中佐着任、第1艦隊第11潜水戦隊に編入、昭和19年3月10日に第6艦隊第8潜水戦隊に編入され呉を出港。昭和19年4月23日にドイツ派遣潜水艦としてシンガポールを出港しドイツへ向かった。同年6月23日にビスケー湾にて連絡将校を乗せたドイツ潜水艦と会合、その後ドイツ海軍連絡将校指示の元に行動。同年6月25日にビスケー湾付近にてアメリカ海軍護衛空母「ボーグ」搭載機の攻撃を受け沈没。昭和19年12月10日除籍。

伊53(二代目)
(I 53)

昭和16年度計画。昭和19年2月20日に呉工廠にて竣工し呉鎮守府籍に編入、艦長の豊増清八少佐着任、第1艦隊第11潜水戦隊に編入。昭和19年5月15日に呉を出港しガビエン北方海域で行動。昭和19年5月19日に第6艦隊第15潜水戦隊に編入。昭和19年7月2日より15日までトラックに在泊し25日に呉に帰投。昭和19年10月19日よりフィリピン北方海域にて行動、昭和19年11月22日に呉へ帰投。昭和19年12月27日に回天金剛隊としてパラオ方面に出撃、1月12日にコッスル水道にて回天3基発進、1月26日に呉に帰投し修理を行った。昭和20年2月1日、異動により艦長の大場佐一少佐着任。昭和20年3月25日に回天天武隊として呉を出港したが3月30日に周防灘にて触雷、4月1日呉に入港。昭和20年7月9日回天多聞隊として呉を出港、同年7月24日にルソン島沖にて回天1基発進、アメリカ海軍駆逐艦「アンダービル」を撃沈、8月4日にも回天を2基発進させたが戦果は無かった。その後昭和20年8月12日に呉に入港しそのまま終戦を迎えた。昭和20年11月30日除籍。昭和21年4月1日、五島沖にて海没処分。

伊55(二代目)
(I 55)

写真無し

昭和16年度計画。昭和19年4月20日に呉工廠にて竣工し呉鎮守府籍に編入、艦長の井筒紋四郎少佐着任、第6艦隊第11潜水戦隊に編入。昭和19年6月30日に呉より横須賀に回航され7月1日到着。昭和19年7月7日、テニアン島在のパイロット救出のため横須賀を出港したが7月15日の夜、テニアン到着予定時間を発信した後に行方不明となった。昭和19年10月10日除籍。

基準排水量:2095t(水上)/2644t(水中)
常備排水量:2564t
全   長:108.7m
    9.3m
吃   水:5.12m
主   機:艦本式22号10型複動ディーゼル機関×2(2軸、水上4700HP、水中1200HP)
乗   員:94名
速   力:水上17.7ノット/水中6.5ノット
航続距離 :16ノットで21000浬(水上)/3ノットで105浬(水中)
兵   装:40口径14cm単装砲×2、25mm連装機銃×1
      53cm魚雷発射管×6基(合計魚雷17本) 
備   考:●安全潜航深度は100mに設定。

丙型(伊52型)の章、終了


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