陸軍  キ61(川崎 三式戦闘機「飛燕」)

ki61(Kawasaki Type3 Fighter "Hien")<Tony>

第二次世界大戦時に採用された日本軍唯一の液冷戦闘機。昭和12年、限界の見えて来たBMW6系液冷エンジンに変わるものとして同じくドイツのDB601が選定されたが同時に、これを搭載した新型戦闘機の開発も開始された。これは重戦、軽戦に分けて製作されたが重戦軽視志向の同国軍には前者は採用されず(育てる気もなかった)、結局キ61と呼ばれた後者のみ採用された。昭和16年12月に一号機が完成、続いて増加試作機11機が作られテストの結果、昭和18年6月に三式戦闘機として制式採用(生産は昭和17年8月より開始、また「飛燕」と宣伝されるのは昭和20年1月16日より)された。日本戦闘機として異例の液冷機ではあったがエンジントラブルも多く当時の日本の工業力には多少重荷なエンジンであったと言える。生産機数は昭和19年12月までに2997機、他に空冷エンジンを搭載したキ100(後述)が318機であった。

  I 型甲(Model 1A)

左翼内に89式7.7mm固定機銃×1、右翼に同乙機銃、胴体は左にホ103 12.7mm甲機銃×1、右には同乙機銃。当初は全部ホ103の予定であったが生産不足により翼内機銃は89式7.7mm機銃とされた。細かな改良も多いが後半生産分は燃料タンクの防火能力が向上(防弾ゴムが厚くなっていた)していた。

  I 型乙(Model 1B)

翼内機銃をホ103にしたもの。生産14機目以降は冷却機後上方に脱着可能な8mmの防弾鋼板を装備。途中から胴体内の第3燃料タンクが除去された。また細かな燃料タンク容量の変更があった。

  I 型丙(Model 1C)

火力不足が指摘されたため、翼内砲をドイツより輸入したMG151/20(20mm機関砲。昭和17年11月末より輸入、計画2000門に対し実質800門到着、以降は輸入困難により中止)に変更したもの。甲、乙よりの改修を含めて生産機数388機。

  I 型丁(Model 1D)

昭和19年1月より生産。胴体機銃をホ5(20mm砲)に、翼内銃をホ103としたもの。重心位置変更により全長が伸びて重量が増加した。また防火ゴム等の防弾装備も広範囲にわたった。少数機はホ105(30mm砲)を翼内(胴体銃はホ103)に装備していた。

  II 型改(Model 2 Reconstruction)

失敗に終わったキ61 IIの後に出来たI 型の性能向上型。昭和19年9月より生産。主翼はI 型丁、胴体はII 型としたもの。武装はI 型丁と同じであったがエンジンが改良型の「ハ140(公称1250HP)」に換装され速度が610km/6000mに向上していた。機体は374機生産されたがII 型改として生産されたのは99機。残りは空冷エンジン装備のキ100となった。

発動機 :ハ140型 水冷式倒立V型12気筒 1500HP(離昇)[1350HPの資料有り]
寸 法 :全幅12m、全長9.1565m
重 量 :自重2855kg、総重量3825kg
最大速度:610km/6000m
航続距離:1600km(最大)
上昇時間:5000m/6分0秒
武 装 :20mm×2、12.7mm×2
備 考 :上記性能はII 型改(Model 2 Reconstruction)


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