ハンス=ヨアヒム マルセイユ大尉

Hans−JoachimMarseille

映画「アフリカの星」の主人公として,その主題歌「アフリカの星のボレロ」とともに名高いエース。1919年空軍少将を父にベルリンで生まれ,1938年士官侯補生として空軍に入った。翌年「英国の戦い」にJG52の一員として参加て7機を撃墜したが,無鉄砲すぎて彼自身も4回撃墜され,上官のスタインホフから危険なパイロットとして嫌われ、41年4月JG27に転属させられた。天才的エースの本領を発揮し始めたのは北アフリカに派遣されてからである。4月23日には自由フランス空軍のJ・ドニ少尉(8.5機)に撃墜されたが,次第に抜群の視力と正確な見越し射撃術を生かし,連合軍戦闘機の上空から急降下して一撃で撃墜したのち,上昇して繰り返すという独特の戦法を完成させた。41年11月末にはスコアは25機だったが,愛機BflO9Fの尾翼の撃墜マークは12月から急上昇して,42年2月22日には50機撃墜で騎士鉄十字章を受け,6月6日には75機に達した。中隊長に昇進し,6月17日には7分間で6機を落とす神技を見せて100機を越え,剣樫葉付騎士鉄十字章をヒトラーから受けるため,1か月半の休暇をもらい,帰路ローマに寄ってムッソリーニからも祝福され,国民的英雄となった。復帰すると9月1日に3回の出撃で17機を撃墜する離れ業を演じ,翌日126機撃墜でダイヤモソド剣樫葉付騎士鉄十字章を投与された。さらに9月15日には11分で7機を撃墜して150機撃墜を記録した3人目のエースとなった。9月は54機撃墜という月間最高記録を立てたが,9月30日382回目の出撃で新しい愛機「エルベ14号」のエンジンが不調になり,落下傘降下を試みて尾翼に触れ,落下,死亡した。総撃墜数158機はすべて米英空軍に対する戦果である。不巧の名声を記念してJG27の第3中隊はマルセイユ中隊と呼ばれることになった。


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