日本海軍が初めて建造した掃海艇。以前より同様な艦艇は存在したものの旧式駆逐艦等を使用していたため専用艦艇として、またイギリスより導入したパラベーンC型掃海具を装備した新しい掃海方法を採用した新たな艦であった。大正9年の八八艦隊完成案の際に計画され、1〜3号艇が大正11年に起工、残りの3隻はワシントン条約後の新規拡充計画で建造されることになり、特に5〜6号艇は昭和4年竣工とかなり遅れ、その分1〜4号艇の実績を加味し建造されていた。本級は基本的に艦隊の前路掃海を主な目的としたため列強各国の同様な艦種に比較して砲戦力も強力で、機雷敷設も可能、また竣工当時から爆雷投射器を搭載、速度も速かったと言われている。第二次大戦中は、初期には掃海艇として作戦従事していたが、それ以降は装備を生かした船団護衛艦として活動している。書籍によっては5〜6号艇を別型として扱われている。 |
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4号艇
[Minesweeper No.4]
大正12年度計画艦
大正14年4月29日 |
佐世保工廠にて竣工。横須賀鎮守府籍に編入。 |
昭和16年11月1日 |
南遣艦隊第9根拠地隊に編入。 |
昭和16年11月8日 |
呉を出港。 |
昭和16年11月17日 |
海南島三亜港到着、哨戒配備。 |
昭和16年12月2日 |
三亜を出港し8日のシンゴラ上陸作戦を支援。 |
昭和17年1月23日 |
エンドウ上陸作戦に参加。哨戒に従事。 |
昭和17年1月29日 |
アナンバスにて哨戒に従事。 |
昭和17年2月12日 |
ムントク、パレンバン攻略作戦に参加。 |
昭和17年3月8日 |
北部スマトラ作戦で護衛、掃海に従事。 |
昭和17年3月20日 |
アンダマン攻略作戦で掃海作業に従事。 |
昭和17年4月8日 |
セレターにて入渠。30日出渠。 |
昭和17年5月1日 |
シンガポールにて掃海に従事。 |
昭和17年5月20日 |
横須賀鎮守府部隊に編入。 |
昭和17年5月25日 |
セレター出港、船団護衛に従事。 |
昭和17年6月12日 |
佐世保到着。 |
昭和17年6月27日 |
佐世保出港。大隈海域にて哨戒に従事。 |
昭和17年7月15日 |
大阪警備部隊に編入。紀伊水道の哨戒に従事。 |
昭和17年8月31日 |
佐世保鎮守府部隊に編入。 |
昭和17年9月8日 |
佐世保出港。大隈海峡海域にて哨戒に従事。 |
昭和17年10月5日 |
佐世保出港。五島列島海域にて哨戒に従事。 |
昭和18年4月1日 |
横須賀鎮守府部隊に編入。 |
昭和18年4月8日 |
横須賀出港。 |
昭和18年4月23日 |
横須賀出港。横須賀〜神戸間の船団護衛に従事。 |
昭和18年5月4日 |
横須賀にて入渠。18日出渠。 |
昭和18年6月8日 |
横須賀出港。鳥羽方面にて掃海に従事。 |
昭和18年7月2日 |
横須賀出港。横須賀〜室蘭間の船団護衛に従事。 |
昭和18年12月1日 |
第4南遣艦隊第26特別根拠地隊に編入。 |
昭和18年12月21日 |
横須賀出港。マニラ〜ダバオ方面への船団護衛に従事。 |
昭和19年1月21日 |
ハルマヘラ島カウ到着。以後同方面及び西部ニューギニア方面にて船団護衛。 |
昭和19年6月1日 |
アンボン〜ダバオ間の船団護衛に従事。 |
昭和19年7月16日 |
ジャカルタ入港。修理。 |
昭和19年9月15日 |
修理が完了しスラバヤに回航。 |
昭和19年10月1日 |
第1南遣艦隊第10特別根拠地隊に編入。 |
昭和19年12月1日 |
シンガポールに回航。以後同方面にて船団護衛・哨戒・掃海に従事。 |
昭和20年8月15日 |
シンガポールにて終戦を迎える。 |
昭和21年7月11日 |
イギリス海軍にてシンガポールのケッペル南方にて海没処分。 |
昭和21年8月10日 |
除籍。 |
5号艇
[Minesweeper No.5]
大正12年度計画艦
昭和4年2月25日 |
三井物産造船部玉工場にて竣工。横須賀鎮守府籍に編入。 |
昭和16年11月1日 |
南遣艦隊第9根拠地隊に編入。 |
昭和16年11月8日 |
呉を出港。 |
昭和16年11月17日 |
海南島三亜港到着、哨戒配備。 |
昭和16年12月1日 |
三亜を出港し8日のシンゴラ上陸作戦の前路掃海。 |
昭和17年1月23日 |
エンドウ上陸作戦の前路掃海に従事。 |
昭和17年2月12日 |
バンカ、パレンバン上陸部隊の前路掃海。 |
昭和17年2月21日 |
ジャワ攻略部隊の対潜警戒に従事。 |
昭和17年3月8日 |
北部スマトラ攻略部隊の護衛に従事。 |
昭和17年3月20日 |
アンダマン攻略部隊の前路掃海。 |
昭和17年3月31日 |
セレター入港、入渠。4月21日出渠。 |
昭和17年4月26日 |
セレター出港、シンガポール海域にて掃海。 |
昭和17年5月20日 |
佐世保鎮守府部隊に編入。 |
昭和17年5月26日 |
船団護衛の為、セレター出港。6月11日佐世保到着。 |
昭和17年7月1日 |
佐世保出港、大隈群島付近にて哨戒。 |
昭和17年7月15日 |
大阪警備部隊に編入。紀伊水道海域にて哨戒。 |
昭和17年8月31日 |
佐世保鎮守府部隊に編入。 |
昭和17年9月8日 |
佐世保出港。九州北西海域にて船団護衛。 |
昭和18年4月1日 |
横須賀防備戦隊に編入。 |
昭和18年4月4日 |
佐世保出港。11日横須賀到着。 |
昭和18年4月22日 |
横須賀出港。女川を基地として三陸沖方面にて船団護衛。 |
昭和18年5月22日 |
横須賀入港、入渠。6月2日出渠。 |
昭和18年12月1日 |
第4南遣艦隊第26特別根拠地隊に編入。 |
昭和18年12月21日 |
横須賀を出港しダバオ、マニラ経由にて船団護衛。 |
昭和19年1月21日 |
ハルマヘラ島カラ到着、以後同方面、西部ニューギニア方面にて船団護衛。 |
昭和19年6月22日 |
ダバオ方面にて哨戒に従事。 |
昭和19年7月7日 |
ダバオ出港。アンボン方面にて船団護衛。 |
昭和19年9月7日 |
スラバヤ入港。19日シンガポールに回航。 |
昭和19年10月1日 |
第1南遣艦隊第10根拠地隊に編入。 |
昭和19年10月3日 |
入渠。10月11日出渠。 |
昭和19年10月29日 |
輸送任務の為、シンガポールを出港。 |
昭和19年11月4日 |
マラッカ海峡にてイギリス海軍潜水艦テラピン[Terrapin]の雷撃で沈没。 |
昭和20年3月10日 |
除籍。 |
6号艇
[Minesweeper No.6]
大正12年度計画艦
昭和4年2月25日 |
大阪鉄工所桜島工場にて竣工。横須賀鎮守府籍に編入。 |
昭和16年11月1日 |
南遣艦隊第9根拠地隊に編入。 |
昭和16年11月8日 |
呉を出港。 |
昭和16年11月17日 |
海南島三亜港到着、哨戒配備。 |
昭和16年12月1日 |
三亜を出港し8日のコタバル上陸作戦を支援。 |
昭和16年12月3日 |
カムラン湾入港。 |
昭和16年12月5日 |
カムラン湾を出港しシンゴラ上陸部隊の前路掃海。 |
昭和16年12月18日 |
シンゴラ出港。 |
昭和16年12月21日 |
ミリ入港。対潜哨戒。 |
昭和16年12月22日 |
ミリ出港。 |
昭和16年12月23日 |
ボルネオ島クチン入泊。移動哨戒に従事。 |
昭和16年12月26日 |
クボルネオ島チン泊地にてオランダ空軍機の爆撃により沈没。 |
昭和17年1月10日 |
除籍。 |
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基準排水量:600t(5,6号艇は620t) |
常備排水量:702t(5,6号艇は717t) |
全 長:76.2m(5,6号艇は77m) |
幅 :8.03m(5,6号艇は8.25m) |
吃 水:4.65m(5,6号艇は4.7m) |
主 機:直立式三段膨張レシプロ蒸気機関2基/2軸(4000HP) 石炭150t |
乗 員:97名(5,6号艇は91名) |
速 力:20ノット(5,6号艇は21ノット) |
航続距離 :12ノットで2000浬(5,6号艇は14ノットで2000浬) |
兵 装:12cm45口径単装砲×1基、25mm連装機銃×1基、25mm単装機銃×3基、 81式爆雷投射機×4基(推定)、94式爆雷投射機×1基(推定)、 爆雷装填台×5基、爆雷投下軌条2基(推定)、爆雷36個、13号電探×1基、 93式水中聴音機×1基、3式または93式水中探信儀×1基 |
備 考:兵装は大戦末期の1号艇の状態 |