日本の掃海艇
(Japanese Minesweeper)

13号型 (No.13 class)
[13号艇、14号艇、15号艇]

昭和6年の@計画により6隻が建造された掃海艇。基本的には1号型の改型と呼べるもので多少小型化されていたが必要な兵装をそなえ居住性を改善したものであった。設計的には溶接構造の広範囲化で重量を軽減し安定性能の向上として幅を広げたが吃水の浅い、乾舷の高い不安定な艦体となってしまった。排水量も計画時の公試560tに対し590tと30tオーバーしていた。13、14号艇は、このトップヘビーなままに完成したが昭和9年の友鶴事件を境に呉工廠改修、内容は艦橋を1段低め、煙突も低くされ、さらに艦底竜骨にバラストキールを装着、セメントバラストを搭載する他に海水などの液体バラストも搭載するものとされた。改造後は基準排水量691t、公試排水量800tとかなり重くなり速力は19ノットに低下した。15〜16号艇は最初からこの改正をほどこして完成、17〜18号艇は未着工であったため設計をやりなおし艦型はほとんど変わりなかったが公試排水量が改造後の13〜14号艇よりいくぶん小型でありエンジンもレシプロよりタービンに変更され完成した。書籍によっては、この17〜18号艇のみ別型として扱われている。


↑14号艇新造時


↑14号艇昭和9年時

13号艇

[Minesweeper No.13]

昭和6年度計画艦
昭和8年8月31日 藤永田造船所にて竣工。呉鎮守府籍に編入。
昭和16年6月10日 第3艦隊第2根拠地隊に編入。
昭和16年11月26日 佐世保を出港。
昭和16年11月29日 高雄に入港。
昭和16年12月7日 高雄を出港、バンダ島攻略に参加。
昭和16年12月17日 高雄出港、リンガエン湾に向け船団護衛に従事。
昭和16年12月22日 リンガエン湾に入港。前路掃海に従事。
昭和16年12月31日 高雄出港。船団護衛に従事。
昭和17年1月5日 ダバオ入港。
昭和17年1月7日 ダバオを出港しボルネオ島タラカン攻略部隊の船団護衛に従事。
昭和17年1月10日 ボルネオ島タラカン入港。周辺海域の掃海及び哨戒に従事。
昭和17年1月12日 哨戒中にオランダ軍陸上砲台の砲撃により沈没。
昭和17年1月31日 マストが海上より出ていたため第4予備艦となる。
昭和20年11月30日 除籍。


14号艇

[Minesweeper No.14]

昭和6年度計画艦
昭和8年9月30日 大阪鉄工所桜島工場にて竣工。呉鎮守府籍に編入。
昭和16年6月10日 第3艦隊第2根拠地隊に編入。(以降13号艇と行動)
昭和16年11月26日 佐世保を出港。
昭和16年11月29日 高雄に入港。
昭和16年12月7日 高雄を出港、バンダ島攻略に参加。
昭和16年12月17日 高雄出港、リンガエン湾に向け船団護衛に従事。
昭和16年12月22日 リンガエン湾に入港。前路掃海に従事。
昭和16年12月31日 高雄出港。船団護衛に従事。
昭和17年1月5日 ダバオ入港。
昭和17年1月7日 ダバオを出港しボルネオ島タラカン攻略部隊の船団護衛に従事。
昭和17年1月10日 ボルネオ島タラカン入港。周辺海域の掃海及び哨戒に従事。
昭和17年1月12日 哨戒中にオランダ軍陸上砲台の砲撃により沈没。
昭和17年1月31日 マストが海上より出ていたため第4予備艦となる。
昭和20年11月30日 除籍。


15号艇

[Minesweeper No.15]

昭和6年度計画艦
昭和9年8月21日 藤永田造船所にて竣工。呉鎮守府籍に編入。
昭和16年6月10日 第3艦隊第2根拠地隊に編入。
昭和16年12月1日 佐世保を出港。
昭和16年12月4日 馬公入港。
昭和16年12月7日 フィリピンのアパリ上陸部隊の船団護衛及び前路掃海。
昭和16年12月17日 高雄出港。リンガエン湾への船団護衛に従事。
昭和16年12月31日 高雄出港。船団護衛に従事。
昭和17年1月5日 ダバオ入港。
昭和17年1月7日 ダバオ出港。タラカン攻略部隊の船団護衛に従事。
昭和17年1月21日 バリックパパン攻略部隊の船団護衛に従事。
昭和17年2月24日 ジャワ攻略部隊の船団護衛及び前路掃海。
昭和17年3月10日 第2南遣艦隊第22特別根拠地隊に編入。
昭和17年3月24日 ボルネオ方面にて船団護衛に従事。
昭和17年7月1日 シンガポールにて修理。
昭和17年7月24日 シンガポール出港。バリックパパン海域にて船団護衛。
昭和17年9月29日 バリックパパン出港。
昭和17年10月10日 ラバウル入港。
昭和17年10月23日 ショートランド方面にて船団護衛に従事。
昭和18年3月15日 第8艦隊第1根拠地隊に編入。
昭和18年4月18日 ブイン出港。山本連合艦隊司令長官救難本部到着。
昭和18年4月20日 救難本部前にて山本連合艦隊司令長官遺骨乗艇。
昭和18年4月21日 ブイン方面にて船団護衛。
昭和18年7月18日 ブインにてアメリカ軍機の攻撃により損傷、第22号掃海艇が曳航のうえラバウルへ。
昭和18年8月7日 ラバウル出港。船団に同行。
昭和18年8月28日 呉入港。
昭和18年9月1日 8日まで修理。
昭和18年11月25日 佐世保防備戦隊に編入。
昭和18年12月6日 上海方面への船団護衛のため佐世保出港。
昭和19年4月17日 沖縄方面への船団護衛のため佐世保出港。
昭和19年6月17日 高雄を出港しマニラ方面への船団護衛に従事。
昭和19年8月30日 佐世保〜台湾間の船団護衛のため佐世保出港。
昭和20年3月5日 南西諸島北方にてアメリカ海軍潜水艦タイルフィッシュ[Tilefish]の雷撃を受け
諏訪之瀬島西岸に擱座。
昭和20年5月10日 除籍。
基準排水量:525t(17,18号艇は578t)
常備排水量:590t(17,18号艇は700t)
全   長:74m(17,18号艇は72.5m)
    8.2m(17,18号艇は7.85m)
吃   水:4.52m(17,18号艇は4.55m)
主   機:直立式三段膨張レシプロ蒸気機関2基/2軸(3200HP) 石炭53t、重油23t
       (
17,18号艇は艦本式オールギヤード蒸気タービン2基/2軸、石炭110t、重油47t)
乗   員:98名(17,18号艇は94名)
速   力:20ノット(17,18号艇は19ノット)
航続距離 :12ノットで2600浬
兵   装:12cm45口径単装砲×2基、25mm連装機銃×1基、25mm単装機銃×5基、
       81式爆雷投射機×2基、94式爆雷投射機×1基、
       爆雷装填台×3基、爆雷投下軌条2基、爆雷36個、13号電探×1基、
       93式水中聴音機×1基、3式または93式水中探信儀×1基
備   考:兵装は大戦末期の15号艇の状態

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