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試製九八式小型乗用車(陸王軽四起)

1936年(昭和11年)の暮、陸軍自動車学校の研究部は「九五式小型乗用車」より更に軽便な「軽四輪起動車」の開発を決め、それまでオートバイ、サイドカー、オート三輪等小型車の製作に関係していた各社にその試作を依頼した。オートバイで実績のある陸王内燃機の桜井盛親はその要請に応えて直ちに設計に取り組み少量生産に耐えられるようにエンジンは自社のオートバイの部品を流用し、フレームにはパイプを使用した。変速機は前進3段、後退1段に加えくろがねには使用していなかった2速のトランスファーを採用し長谷川板金にボディを作らせて1938年(昭和13年)に完成し、”試製九八式小型乗用車”としてただちに走行テストに回され若干のトラブルがあったものの無事に終了したが、この時点で米・英とも戦闘状態に突入しており各種の資材は急速に緊迫していたため5台の試作のみで量産されることは無かった。


岡本軽四起

岡本軽四起は岡本自転車製作所がトヨタのバスを作った経験から川越氏が設計したもので、空冷V型2サイクル1200ccで前輪は横置きリーフによる独立縣架であったが3台の試作のみにとどまった。


ダイハツ軽四起

ダイハツ軽四起は”FRA”と称し空冷V型2サイクル1200ccで駆動方式は前輪、後輪ならびに四輪駆動の3つのモードで走行できる物であったが試作のみにとどまった。


四式小型貨物車(トヨタAK-10)

日本軍は太平洋戦争の各戦線でだ捕したアメリカ軍の車両を有効に利用していたが、なかでもジープの悪路走破性のすばらしさを知るにつけ、この種の車の必要性を痛感しした。1943年(昭和18年)陸軍は日本内燃機や陸王内燃機等にジープに相当し得る車が作れるか検討させたが小型四輪起動車を手がけたことのある日本内燃機や陸王内燃機には適したエンジンが無いためすぐに生産する事が出来ないことが分かったがトヨタに適したエンジンがあることを知りトヨタに”和製ジープ”の製作を依頼した。トヨタは陸軍からサンプルとして渡されたバンタム・ジープを参考に森本真佐男技師がジープに負けない合理的な車を作ろうと努力したが、合理的に作ろうとすればするほどジープに近い物になって困惑した。軍関係者は「米軍の車に似ていてはいけない」と厳命し細部にまで指示が出され最後には具体的に形を付きっきりで注文がつけられその通りにせざるをえなかった。このようないきさつから試作初期ではヘッドライトは2つでフェンダーは角張っていたが、量産仕様では当時の戦時標準型4トントラックと同様の中央1個のヘッドライトに曲面フェンダーが付けられデッキには木製の荷箱が載せられた。この車は1944年(昭和19年)8月に完成し過酷な試験が行われ5台の試作を経て”四式小型貨物車”として制式化され生産準備に入ったが、部品がぼつぼつ出来始めた頃に終戦を迎えた。


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