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浜田式自動拳銃(一式、二式)


(写真上 二式 下 一式)
太平洋戦争に突入した日本は海外からの中小拳銃の輸入が困難となった。14年式や94年式等の国産拳銃は重く、かつ大きく、自衛用というより単に飾りに過ぎない将校用拳銃としては不評であった。そこで将校用中型拳銃をめざして設計されたのが浜田一式自動拳銃である。設計は当時将校用拳銃として人気のあったFN・M1910に一部改良を加えて行われた。設計者は日本銃器株式会社社主の浜田文次である。設計は昭和16年(皇紀2601年)に完成し昭和18年末までに約3000丁が、製作・販売された。軍用として将校用私物拳銃として販売されたほか海外渡航者向けに市販もされた。浜田一式拳銃を改良した製品が二式拳銃である。戦争が激しくなり前線将校の
軽量拳銃の需要が増加すると陸軍は昭和17年(皇紀2602年)から進めていた浜田式拳銃の改良型を二式として採用することとなる。昭和17年に浜田式拳銃を8mm南部式拳銃弾を使用するように改良(一式は.32ACP弾を使用)すべく始められた計画は昭和18年に完了したと言われている。基本になったのは浜田一式拳銃でこれに陸軍第一技研小型銃器担当官であった谷戸賢二少佐が改良の指導にあたった。試作当時、軍はこの拳銃を暗号名ハケ式と呼んでいた。ハは浜田、ケは拳銃を示す暗号であった。昭和18年に完成されたハケ式は正式に二式拳銃の名称が与えられて軍用となりその生産には日本銃器株式会社があたることとなった。しかし、終戦までに製作された二式拳銃は極わずかであった。現存している数丁の二式拳銃の製造番号は2桁であり、しかもいずれも表面の着色加工がされていない。一式拳銃、二式拳銃ともにブローバック式でストライカー型式の撃発機構を持っており、二式拳銃は8mm南部式拳銃弾を使用するため一式拳銃に比べ大型
で、特に圧力の高い弾薬を安全に発射出来るように遊底部が大型化されている。


稲垣式自動拳銃

稲垣式自動拳銃は昭和15年(1940年)初頭に完成された製品である。特色は撃鉄本体とリコイル・スプリングがともに板バネで造られている点にあった。弾倉後方のグリップ・フレーム内に2枚の板バネが収納されただけの極く簡単な構造で、撃鉄本体を兼用する板バネを保持するシアは、94式拳銃と同型式が採られた。撃発機構は撃鉄内蔵式で、作動は単純なブローバック式が採られた。弾薬は標準的な中型ブローバック用拳銃弾の.32ACPが利用された。この拳銃は銃器不足を補うために採用されたが、制式採用ではない。主に海軍の航空兵や将校の自衛用に用いられた。


杉浦式自動拳銃

製造目的は浜田式自動拳銃と全く同一で、将校用自衛拳銃の需要を満たすべく設計と生産が進められた。この自動拳銃はFN・M1910と並んで人気があったコルト・ポケットを原型としている。構造はオリジナルのコルト・ポケットとほぼ同一で撃鉄内蔵式のブローバック式が採られている。使用弾薬は.32ACPである。この自動拳銃は中国本土で造られたと伝えられるが正確なところは不明であ
る。


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