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試製南部式拳銃(14年式拳銃試作)

南部麒次郎大尉の設計によって開発された南部式拳銃は、陸軍の砲兵工廠で製作されたものの陸軍の制式兵器とはならず、日露戦争では一部の将校が南部式を買い求めて装備した。しかし海軍はこの拳銃に目をつけ、明治42年9月に「陸式拳銃」として海軍制式兵器に採用した。陸軍でも第一次世界大戦後拳銃を制式化する計画を立てたが、南部式は外国製に比較して生産工程が多く、機構的にも複雑なことから改善するように要求した。その要求に応えて改良、簡素化に試作されたのがこの拳銃で、試作品は製造番号1〜14番まで作られ、これが後の14年式の原型となったものである。口径は8mm、装弾数は13発で全体のスタイルはスウェーデンのラチ拳銃によく似てる。内部構造は南部式とほぼ同じだが、グリップセイフティが省かれ、代わりに手動式安全装置がフレーム左側にあり、上部には照尺がつけられている。


14年式拳銃

南部式自動拳銃・乙を改良し、生産し易くしたモデルが14年式拳銃である。口径は8mmで、南部式自動拳銃のものがそのまま転用されている。ロッキング・システムや撃発機構等もほぼそのままの形で受け継がれているが、製造が容易になるように、フレーム、レシーバー、ボルト等の形状が改められ、全体のデザインもすっきりしたものになった。また拳銃には必要のない照尺も取り外されて、固定式の照門になった点も近代化といえる。14年式拳銃の採用によって日本陸軍は、制式拳銃として初めてのオートマチック・ピストルを手にしたことになる。以後、陸軍内で拳銃を必要とする兵や下士官によって第二次世界大戦の終了まで使用されることとなった。14年式は、生産されていた20年間にさまざまなバリエーションが製造された。初期生産型には丸型の小さなトリガー・ガードがつき、短いファイアリング・ピンが付属しており、マガジン・セイフティを付属していなかった。また全体の加工、仕上げもていねいで、全体に丸み帯びて、なかなか優美な製品だった。チャンバー内の残弾による事故が多く報告されたことから、マガジン・セイフティが追加された。再装填中の事故防止効果が高かったところから、すでに支給されていたものも回収し改良された。日本軍が、中国や満州に進出すると、寒冷地で厚い手袋をして14年式の小型のトリガー・ガードが使いにくいことが判明すると大型のだるま型をしたトリガー・ガードが昭和14年(1939年)9月に採用された。同じ時期に、マガジン・キャッチから脱落しやすいマガジンを補強する目的で、グリップ前面に脱落防止スプリングが追加された。第二次世界大戦に突入すると量産が第一となり、省力化が進められた。そのため、表面加工は言うに及ばず、およそ考えられる手抜きがすべてに及び、最後にはグリップのすべり止めの溝や、コッキング・ピースの溝まで省かれた製品まで出現し、昭和20年8月15日を迎える。生産は名古屋造兵廠、中央工業、東京造兵廠、小倉造兵廠でおこなわれ、生産総数は約282000丁といわれている。

全長:230mm、銃身長:120mm、高さ:27.5mm

口径:8mm、重量:920g、実包数:8発+1発


14年式検圧拳銃

14年式拳銃のバリエーションであまり知られていないモデルが14年式検圧拳銃である。このモデルは製造された8mm南部式拳銃弾の腔内圧力を調べるための特殊型である。レシーバー前端にある薬室上面の大きなブロックは、内部が中空となっており、上部のネジを外すことができる。このブロック内には銃身へ抜けた小孔とピストンがある。このブロック内に、銅の円柱を入れて上部のネジで固定して薬室内の圧力を測定する。薬室に弾薬を装填して発射すると小孔から発射ガスが吹き出して銅円柱を圧縮して、その全長が短くなる。初めに装着した銅円柱と発射後の短くなった銅円柱の差によって、圧力の強弱が測定できる。弾薬の検圧銃は、弾薬製造工場や造兵廠等の極く限られた場所で利用されるもので生産台数は至って少ない。

全長:112mm、銃身長:85mm、高さ:110mm、厚さ:26mm(本体)

口径:7mm、重量:590g、実包数:7発+1発


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