Type 2 Light Tank(Keto) |
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昭和16年に試作が行われた日本陸軍最後の新規製作軽戦車で九八式軽戦車の改良型。車体はほぼ九八式軽戦車を世襲し砲塔を大型化して、砲を一〇〇式37mm砲(ほぼ九八式37mmと威力の差はない砲であった)から一式37mm砲に換装、これによって装甲貫徹力をアップさせた。昭和19年に29輌の生産が行われた。 |
重 量 :自重6.2t 全備重量7.2t |
寸 法 :全長4100mm×全幅2120mm×全高1820mm×最低地上高350mm |
乗 員 :3名 |
武 装 :一式37mm砲×1、7.7mm機銃×1 |
装 甲 :車体前面16mm×側面16mm〜12mm×後面10mm、砲塔前側後面共16mm |
エンジン :一〇〇式統制型空冷直列6気筒ディーゼルエンジン 130馬力/2100rpm |
速 度 :50km/h |
航続距離 :300km |
無 線 :- |
備 考 :一式37mm砲は初速785m/sec、1000mで25mmの装甲貫徹力。 |
Type 89 Medium Tank(Yigo) |
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昭和3年4月に設計が着手された軽戦車で基礎設計はビッカースMk.Cを元としている。昭和4年4月に完成、10月には東京〜青森で走行実験が行われ改修の結果、昭和6年より量産に入る。昭和9年には八九式中戦車と名称が改められた(10t以上を中戦車とした)。昭和10年よりディーゼルエンジン搭載の乙型(一部8気筒150馬力のものがあったといわれている)が量産に入り、従来のダイムラーエンジン(航空機用で水冷直列6気筒)搭載型が甲型と呼ばれることになった。生産数ははっきりしないが甲型が昭和9年までに220輌、乙型が昭和10年〜14年までに184輌の記録がある。また一部の甲型は37mm砲を搭載していた。 |
重 量 :自重11.7t 全備重量12.7t |
寸 法 :全長5750mm×全幅2180mm×全高2560mm×最低地上高500mm |
乗 員 :4名 |
武 装 :九〇式57mm砲×1(初速380m/sec)、九一式6.5mm機銃×2 |
装 甲 :車体前面17mm×側面15mm×後面15mm、砲塔前側後面共17mm |
エンジン :水冷直列6気筒ガソリンエンジン 118馬力/1800rpm |
速 度 :25km/h |
航続距離 :140km |
無 線 :- |
備 考 :- |
Type 97 Medium Tank(Chiha) |
部隊における97式中戦車 部隊における97式中戦車改 |
昭和4年に制式化された八九式中戦車は一定の評価を受けていたものの、九四式軽装甲車や九五式軽戦車が投入されるようになると性能不足が指摘された。そこで昭和10年に新型中戦車の研究が決定、翌11年に仕様が検討され、一案(大馬力・重装甲案、のちのチハで三菱重工製)と二案(小型軽量・多数装備、のちのチニで大阪砲兵工廠製)が比較、双方とも試作発注された。完成した車輌は甲乙つけがたい性能を示したが結局、馬力に余裕があり、多少高価であったがチハが採用されることとなった(昭和12年におこった日中戦争により陸軍予算が3倍以上になった理由もある)。本車が活躍できたのは日中戦争と太平洋戦争の極初期まででアメリカ製「M3軽戦車」が出現すると即火力不足となり、それに対応した47mm戦車砲装備型(新砲塔チハ「九七式中戦車改」)が完成した時には対戦相手は「M4中戦車」に変わり更に深刻な状態となっていた。生産数は昭和17年後半からの「九七式中戦車改」を含め2123輌。本車は一式中戦車、三式中戦車、一式砲戦車などの派生型も多い。 |
重 量 :自重14.3t(改は14.8t) 全備重量15t(改は15.8t) |
寸 法 :全長5520mm×全幅2330mm×全高2230mm(改は2380mm)×最低地上高400mm |
乗 員 :4名 |
武 装 :九七式57mm砲×1(改は一式47mm戦車砲)、九七式車載7.7mm機銃×2 |
装 甲 :車体前面25mm×側面25mm〜20mm×後面20mm、砲塔前側後面共25mm |
エンジン :V型空冷12気筒ディーゼルエンジン 170馬力/2000rpm |
速 度 :38km/h |
航続距離 :210km |
無 線 :- |
備 考 : ●本車のクランクシャフトが折れる病状は有名だが、戦前生産分は、これに輸入品(アメリカ製) を使っていたため、ほとんど折れなかった。折れる症状は戦中の国産削り出し材から。またボー ルベアリングが原因の症状も多く、これもまたスウエーデン鋼材を使った輸入品(戦前)と国産品 (戦中)による。結局基礎工業力不足が露呈しなに一つまともに作れませんでした。 |
Expl.Medium Tank(Chini) |
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大阪工廠で完成した戦車でチハ車との競争試作であった。性能上はチハに劣らないものであったが、砲塔内が狭いこと、転輪が反転しやすいことなどが指摘され、日華事変開始あたりに製作が中止された。かなり余裕の無い設計で採用されていたら後々問題になったと言われている。 |
重 量 :自重9.8t 全備重量-t |
寸 法 :全長-mm×全幅-mm×全高-mm×最低地上高-mm |
乗 員 :3名 |
武 装 :九七式57mm砲×1、九七式車載7.7mm機銃×1 |
装 甲 :車体前面25mm |
エンジン :空冷直列6気筒ディーゼルエンジン 120馬力/1800rpm(135馬力の資料もある) |
速 度 :30km/hとあるが詳細不明。 |
航続距離 :-km |
無 線 :- |
備 考 : |
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