一式中戦車(チヘ)
Type 1 Midium Tank(Chihae)

昭和14年8月に高初速47ミリ戦車砲の開発が開始された折に、これと並行してこれを装備した次期戦車の開発を試作することとなった。これが一式中戦車であるが基本は従来の九七式戦車を基礎としエンジンを統制型(各型合計4〜12気筒でおおまかながら12種類あった)を搭載、車体をやや延長し主要部装甲を50ミリとしていた。重量は2tあまり増えていたがエンジンの出力が40%増加したため速度はやや増加している。制式化は昭和16年になされたが九七式戦車改の部隊配備優先の為、生産は昭和18年よりとなり部隊配備は昭和19年となった。昭和20年には本土決戦における主要装備として各戦車師団(旅団)の戦車連隊に重点配備(本土における25の連隊に配備)。またアメリカ軍主力戦車のM4の攻略については従来の邀撃戦法(兵棋によるが正面攻撃)を区別し伏兵的邀撃戦法(兵棋によるが、正面装甲貫通は難しいため分散遮蔽した自軍戦車が側面及び後方から射撃して撃破する)を主にとることとなっていた。生産は587輌。
重  量 :自重15.2t 全備重量17.2t
寸  法 :全長5730ミリ×全幅2330ミリ×全高2380ミリ
乗  員 :5名
武  装 :一式48口径47ミリ戦車砲(121発)×1または7.7ミリ機関銃×2(4220発)
装  甲 :車体前面25+16mm×側面25mm×後面20mm、砲塔前側50mm×側面12mm
エンジン :統制100型空冷V型12気筒ディーゼル(240馬力/2000rpm)
速  度 :44km/h
航続距離 :210km
無  線 :-
備  考 :一式47mm戦車砲は初速810〜832m/sで射程100mで55mm、1000mで30mmの
       装甲を貫通。


三式中戦車(チヌ)
Type 3 Midium Tank(Chinu)

三式中戦車は、チハ系の最終系列の戦車である。昭和19年5月に開発開始、同年10月に試作車が完成。主砲に90式野砲(シュナイダー製野砲を参考)を改造した三式75ミリ戦車砲を搭載しており、正面600mよりM4の装甲を貫通出来るとなされ連合軍戦車に対抗できる初めての戦車として期待されていた。しかし現実には「砲が多少まともになったチハ」程度であり、圧倒的に不利は隠せない。生産数は昭和19年に55両、同20年に11両の計66両。
重  量 :自重-t 全備重量18.8t
寸  法 :全長5730ミリ×全幅2330ミリ×全高2610ミリ
乗  員 :5名
武  装 :三式31口径75ミリ戦車砲(70発)×1または7.7ミリ機関銃×1(3670発)
装  甲 :車体前面50mm×側面25〜20mm×後面20mm、砲塔前側50mm×側面20mm×25mm
エンジン :統制100型空冷V型12気筒ディーゼル(240馬力/2000rpm)
速  度 :39km/h
航続距離 :210km
無  線 :-
備  考 :三式31口径75ミリ戦車砲は初速680m/sで1000mで65mm、100mで90mmの装甲貫
       徹力を持つが極端に砲身命数が短い、「砲兵」にとっては欠陥砲であった。


四式中戦車(チト)
Type 4 Midium Tank(Chito)

昭和18年7月より計画されたもので88式75ミリ高射砲(ボフォースの高射砲のコピー)を車載砲に改装した四式75ミリ戦車砲を搭載した戦車。四式中戦車は当時の日本戦車技術の結晶であり高射砲改造の対戦車砲および75ミリの前面装甲など対戦車戦闘を考慮した初めての戦車でもある。しかしこれも冷静にみると性能的(特に砲、装甲)に当時の新型の米軍中戦車に劣っており(以前「戦車マガジン」に掲載)、砲弾に関しても徹甲弾の開発がなされていないなど(徹甲榴弾は開発)不備(事実上は希少金属使用のため製造がなされていなかった)も多かった。現実問題としては砲弾の問題もあったがある程度生産されていたとしても制空権や燃料供給、部品供給の面、また対成型炸薬弾対策不備などがあり有効な戦力になったとは言いがたい(日本上陸軍の戦車兵力はアメリカ軍で海兵隊を含み1176輌、予備兵力は含まない)。昭和19年末より三菱重工東京製作所丸子工場にて生産に入り2〜6輌が製造された。
重  量 :自重24t 全備重量32t
寸  法 :全長6340mm(6420mmの資料有)×全幅2865mm×全高2865mm
乗  員 :5名
武  装 :四式44.2口径75mm戦車砲(65発)×1(初速818m/sec) 7.7mm機関銃×2(5000発)
装  甲 :車体前面75mm×側面35〜25mm×後面50mm、砲塔前側75mm×
       側面50〜35mm×後面50mm
エンジン :四式空冷V型12気筒ディーゼル(400馬力/1800rpm)
速  度 :45km/h
航続距離 :250km
無  線 :-
備  考 :-


五式中戦車(チリ)
Type 5 Midium Tank(Chiri)

五式中戦車は、資源の枯渇により寄せ集めの技術で製作されたもので四式よりさらに大型となり重量約37トンに達していた。昭和17年より研究開始されたが本格的に開始されたのは一式中戦車の開発が終了した昭和18年6月からである。装甲・砲自体は四式とほとんど変わるところはなかったが、半自動装填装置(自動排莢か?)と、バスケット式戦闘室(戦闘室の床が砲塔の動きに連れて旋回する方式、ドイツ・アメリカ陸軍戦車は採用)などの新機軸が採用されていた。昭和20年3月には稼動可能な状態となり同年8月の主砲搭載を待つ間に終戦となった。試作車輌1両のみ。
重  量 :自重37t 全備重量-t
寸  法 :全長7300mm×全幅3050mm×全高3050mm
乗  員 :5名
武  装 :四式75ミリ戦車砲×1(100発)および一式37ミリ戦車砲×1(102発)
       九七式車載機関銃×2(5000発)
装  甲 :車体前面75mm×側面50〜25mm×後面50mm、砲塔前側75mm×
       側面50〜35mm×後面50mm
エンジン :水冷V型12気筒ガソリン(550馬力/1800rpm)[航空機用ハ9改修だと思われる]
速  度 :45km/h
航続距離 :200km
無  線 :-
備  考 :本戦車の88mm砲搭載説について
資料によってはアメリカ軍技術将校が「この砲塔なら88mm戦車砲が積める」といったことからだとされているが実際88mm砲、特に九九式88mm高射砲改装戦車砲搭載は範疇にあったとされる。事実四式75mm戦車砲の前身の四式高射砲(終戦までに70門程度生産)よりも九九式88mm高射砲(終戦までに1000門以上生産)の方が遥かに生産も多く流用しやすい状況にあった。
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