順位

名    前

写  真

エピソード
スコア

1
スカルスキ
Stanislae.F.Skalski

第二次大戦でのポーランド人トップエースで同時に公認第1号のエースでもある。1915年11月27日ロシアのコジマに生まれ、その後ポーランドへ移り1936年にポーランド空軍へ入隊した。開戦時はPZL P-11装備の142飛行隊に所属し2日目の9月2日にDo17を2機撃墜、敗戦の9月17日までに単独で4機、共同で1機を撃墜している。その後イギリスへ亡命し1940年1月にイギリス空軍に入隊、8月27日にハリケーン装備の501飛行隊に配属された。8月30日にイギリス空軍での初撃墜をし、そこで3機を更に記録した。1941年後半に306飛行隊に移り4機を撃墜、1942年5月に317飛行隊長に昇進し、飛行隊を移動しながらシシリー、北アフリカ、ノルマンディーと戦い続けたが1944年6月24日のFw190撃墜を最後に一線を離れ、教官となった。戦後、母国に帰還したが投獄され、後に釈放されている。

21

2
ウルバノヴィッツ
Witold.Urbanowicz 

イギリス空軍の飛行隊に所属したポーランドパイロット中のトップエースである。1908年ポーランド北東うまれで、18歳で陸軍に入隊、1933年にパイロット資格を獲得して空軍パイロットとなった。開戦時は飛行学校の教官で敗戦後、生徒50名を連れてフランスへ亡命した。後にイギリスに移り1940年8月4日にハリケーン装備の154飛行隊に配属され、バトルオブブリテンで4機を撃墜。その後にポーランド人戦闘機隊である303飛行隊に入り1940年9月27日に4機、9月30日にも4機を撃墜するなど活躍した。1941年4月にポーランド戦闘機航空団の指揮官に任命、1942年にアメリカにわたり駐在武官となったが、1943年第一線での勤務を希望してアメリカ第14空軍へ転属し中国でP-40に搭乗、日本戦闘機2機を撃墜した。1946年に退役したが、そのままアメリカに移住しアメリカン航空など民間航空会社に勤務していた。一説には、中国での日本機撃墜数は11機と言われているが、ここでは通説の3機を採った。

19

3
ホルバクシェフスキ
Eugeniusz Horbaczewski

                     
1939年のポーランド戦では撃墜記録はない。敗戦後イギリスへ亡命し同空軍の303飛行隊に1941年より参加した。1942年4月4日までに初撃墜、8月までに3機を撃墜したが隊長と折り合いが悪く、1943年に北アフリカ派遣ポーランド人戦闘チーム(スカルスキ.サーカス)に移転し3月から5月までに5機を撃墜、7月にイギリス空軍43飛行隊編隊長、8月に飛行隊長に昇格、イタリア戦線でも3機を撃墜した。1944年2月にポーランド戦闘機隊315飛行隊長に任命されP-51で5.5機と、V-1を4基撃墜したが1944年8月18日フランス上空の空戦でFw190型3機を撃墜した後、戦死した。

16.5

4
グラディク
Boleslaw Gladych

1924年ポーランド生まれ。1939年の開戦時は陸軍支援空軍戦闘機隊に所属したが、敗戦後フランスへ脱出し同空軍に一時期所属。次いで1940年10月イギリスへ移り303飛行隊に入隊した。1941年6月23日にBf109を3機撃墜し初撃墜を記録、1943年9月までに8.5機を撃墜した後、アメリカ第8空軍に転属、P-47に搭乗している。のちにP-51に搭乗しMe262をも撃墜。一説によると撃墜数は28〜64機とも伝えられるが、ここでは通説の14機を採用。

14

5
ツムバッハ
Jan E.U.Zumbach

写真無し
イギリス空軍に所属。詳細不明。

12.5


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