日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

小型(呂100型) 4
Syo Type

[呂109、呂110、呂111]
(Ro109、Ro110、Ro111)

前記の呂35型と同じく昭和14〜16年の戦時計画で9隻が計画され建造、昭和17〜18年の計画で9隻が建造されたもので合計18隻が生産された。基本計画番号はS45と言い、太平洋の離島防御の為に設計された局地防御用の潜水艦であった。小型ながら凌波性は改善されておりエンジンは艦本式24号6型ディーゼルエンジン、電池は1号15型120個。小型で居住性も悪かったが、潜水艦の不足から本来の局地任務から外洋での哨戒線に配備され、昭和20年2月までに全艦を喪失した。

呂109
(Ro109)

昭和16年度計画。川崎重工にて昭和18年4月20日竣工、佐世保鎮守府籍に編入。昭和18年8月1日、南東方面艦隊第7潜水戦隊に編入。昭和18年8月11日、呉を出港し南東方面へ向かった。昭和18年9月26日にラバウルを出港、同10月3日にニューギニアのフィッシュ付近にてアメリカ海軍駆逐艦「ヘンリー」を雷撃により撃沈。昭和18年10月23日より12月までスルミ輸送に3回従事。昭和18年12月20日、ラバウルより佐世保に向け出港、昭和19年1月1日に到着。修理整備後の昭和19年3月5日にトラックへ向け佐世保を出港、同16日到着。昭和19年4月20日にトラックを出港しアドミラルティ北方哨戒海域へ向かった。昭和19年5月3日にトラック入港。昭和19年5月15日に再度トラックを出港しアドミラルティ北方哨戒海域へ向かったが同5月26日に同海域にてアメリカ海軍駆逐艦「イングランド」の攻撃を受け沈没。昭和19年8月10日除籍。

呂110
(Ro110)

写真無し

昭和16年度計画。昭和18年4月30日、川崎重工にて竣工、佐世保鎮守府籍に編入。昭和18年8月15日、南東方面艦隊第7潜水戦隊に編入、同日にラバウルへ向け佐世保を出港。昭和18年9月9日よりスルミ輸送に2回従事。昭和18年11月8日よりブーゲンビル方面への哨戒へ2回従事。昭和18年12月13日よりブインへの輸送へ3回従事。昭和19年2月26日にラバウルを出港し佐世保へ向かった(同3月11日到着)。整備後の昭和19年4月13日に佐世保を出港し同20日にサイパン入港、同5月16日にサイパンを出港し哨戒線へ。その後、トラックを経て佐世保へ入港した。昭和19年10月20日に第6艦隊第34潜水隊に編入。昭和19年10月23日に呉を出港しフィリピン東方海域で哨戒、同11月19日に佐世保入港。整備修理後の昭和19年12月18日に佐世保を出港し再度フィリピン東方海域へ出撃、昭和20年1月12日に佐世保入港。昭和20年2月3日に佐世保を出港しルソン島西方で哨戒、同3月2日に佐世保入港。昭和20年4月12日に佐世保を出港し沖縄方面へ向かったが同4月25日にアメリカ海軍上陸用輸送艦「ホレース・A・バス」の攻撃を受け沈没した。昭和20年6月10日除籍。

呂111
(Ro111)

写真無し

昭和16年度計画。昭和18年7月6日、川崎重工にて竣工、佐世保鎮守府籍に編入。昭和18年11月10日、第8潜水戦隊第30潜水隊に編入、同日佐世保を出港し同11月24日にペナン到着。昭和18年12月3日、ペナンを出港、同12月14日に輸送船1隻を撃沈(不明)。昭和19年2月2日にペナンを出港しベンガル湾にて作戦行動をしていたが同2月12日(11日の資料もある)にオーストラリア海軍掃海艇「ラーンス」及び「イプスウッチ」、インド海軍砲艦「スループ」「ジャムナ」の攻撃を受け沈没した(インド海軍砲艦だけとの資料もある)。昭和19年4月30日除籍。

基準排水量 525t(水上)/782t(水中)

常備排水量 601t

全長×全幅 60.9m×6m

吃     水 3.51m

主     機 艦本式24号6型ディーゼルエンジン×2
(2軸、水上1000HP、水中760HP)

乗     員 38名

速     力 14.2ノット(水上)/8ノット(水中)

航 続 距 離 12ノットで3500浬(水上)/3ノットで60浬(水中)

兵     装 25mm連装機銃×1基
53cm魚雷発射管×4基(合計魚雷8本) 

備     考 燃料搭載量50t


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