日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

中型(呂35型)
CYU Type

[呂35、呂36、呂37、呂38]
(Ro35、Ro36、Ro37、Ro38)

昭和16年度の戦時計画に最初の9隻の建造開始され17年度・18年度に更に12隻(完成8隻)が計画された中型潜水艦。以前建造された戦時急造の呂33(S30型)の量産型とされたが途中から設計が改められ基本計画番号もS44となった。呂33型より排水量が160t増えたに関わらず艦本22号10型エンジンのおかげで速力は19.6ノットに向上しており艦内環境も冷房にフレオン式が採用され改善されていた。本型は戦時下にあっては通商破壊戦に最適であったが、日本海軍の潜水艦運用構想が艦隊型に偏っていたため量産効果が現れる前に建造が打ち切られ、補助兵力としか扱われなかった。

呂35
(Ro35)

写真無し

昭和14年度計画。昭和18年3月25日に三菱神戸にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和18年7月17日、呉を出港、同年7月20日に第6艦隊に編入。昭和18年8月16日にトラック出港しエスピリツサント方面へ出撃したが同年8月25日に同方面海域にてアメリカ海軍駆逐艦「パタースン」の爆雷攻撃により沈没。昭和18年12月1日除籍。

呂36
(Ro36)

写真無し

昭和14年度計画。昭和18年5月27日、三菱神戸にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和18年8月20日に第6艦隊に編入。昭和18年9月5日に舞鶴を出港しトラックを経て戦場海域に向かったが中毒患者40名が発生したためトラックへ帰着(10月21日)。昭和19年2月25日にトラックを出港、マーシャル方面へ出撃。昭和19年3月23日にロンゲラップ見張員を収容。昭和19年4月26日に舞鶴に入港し6月まで整備・修理を行った。昭和19年6月4日に舞鶴を出港しサイパンを経てニューギニア北方哨戒域に向かったが同年6月13日にサイパン北方にてアメリカ海軍駆逐艦「メルブイン」の攻撃を受け沈没した。昭和19年8月10日除籍。

呂37
(Ro37)

写真無し

昭和14年度計画。昭和18年6月30日、佐世保工廠にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和18年9月16日に第6艦隊に編入。昭和18年9月22日にトラックへむけ舞鶴を出港、10月7日到着。昭和18年10月20日にトラックを出港しニューヘブライズ東方海域に展開。昭和19年1月3日にトラックを出港しニューヘブライズ方面へ哨戒、同年1月22日、給油艦「キャッシュ」を攻撃し大破したがアメリカ海軍駆逐艦「ビューカナン」の攻撃を受け沈没。昭和19年4月30日除籍。

呂38
(Ro38)

写真無し

昭和14年度計画。昭和18年7月24日、三菱神戸にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和18年10月31日に第6艦隊第34潜水隊に編入、同日に呉を出港しトラックへ向かう(11月8日到着)。昭和18年11月19日にトラックを出港しギルバート方面へ向かったが消息不明となった。昭和19年4月30日除籍。

基準排水量 960t(水上)/1447t(水中)

常備排水量 1109t

全長×全幅 80.5m×7.05m

吃     水 4.07m

主     機 艦本式22号10型ディーゼル機関×2
(2軸、水上4200HP、水中1200HP)

乗     員 61名

速     力 15.8ノット(水上)/19ノット(水中)

航 続 距 離 16ノットで5000浬(水上)/5ノットで45浬(水中)

兵     装 8cm単装高角砲×1、25mm連装機銃×1基
53cm魚雷発射管×4基(合計魚雷10本) 

備     考 搭載蓄電池は1号15型240個


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