日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

中型(呂35型) 2
CYU Type

[呂39、呂40、呂41、呂42]
(Ro39、Ro40、Ro41、Ro42)

昭和16年度の戦時計画に最初の9隻の建造開始され17年度・18年度に更に12隻(完成8隻)が計画された中型潜水艦。以前建造された戦時急造の呂33(S30型)の量産型とされたが途中から設計が改められ基本計画番号もS44となった。呂33型より排水量が160t増えたに関わらず艦本22号10型エンジンのおかげで速力は19.6ノットに向上しており艦内環境も冷房にフレオン式が採用され改善されていた。本型は戦時下にあっては通商破壊戦に最適であったが、日本海軍の潜水艦運用構想が艦隊型に偏っていたため量産効果が現れる前に建造が打ち切られ、補助兵力としか扱われなかった。

呂39
(Ro39)

写真無し

昭和14年度計画。昭和18年9月12日に三菱神戸にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和18年12月25日に第六艦隊第三四潜水隊に編入、同年12月28日にトラックへ向け舞鶴を出港。昭和19年1月19日にウッゼに向けトラックを出港、22日に同島飛行機搭乗員救出を命令される。昭和19年2月4日にウッゼ東方海域にてアメリカ海軍駆逐艦「シャーレット」と同国海軍護衛駆逐艦「フェーア」の攻撃を受け沈没。昭昭和19年4月30日除籍。

呂40
(Ro40)

写真無し

昭和14年度計画。昭和18年9月28日、三菱神戸にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和19年1月15日、第6艦隊第34潜水隊に編入。昭和19年1月20日、トラックへ向け舞鶴を出港。昭和19年2月12日にトラックを出港、クエゼリン方面へ向かったが同方面にてアメリカ海軍駆逐艦「フエルプス」の攻撃を受け沈没。昭和19年4月30日除籍。

呂41
(Ro41)

写真無し

昭和14年度計画。昭和18年11月26日、三菱神戸にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和19年3月3日、トラックへ向け舞鶴を出港14日到着(5日に第6艦隊第34潜水隊に編入)。昭和19年4月23日にニューギニア方面へ向けトラックを出港。昭和19年5月10日、サイパン入港、11日出港、13日にトラック入港。昭和19年5月24日にトラックを出港しクサイ島輸送作戦に従事。その後、サイパン南方哨戒海域で作戦に従事。昭和19年7月5日佐世保入港。整備修理後、昭和19年9月18日に呉を出港しフィリピン東方海域へ進出、11月18日の舞鶴入港まで同方面にて哨戒に従事していた。昭和19年12月24日、舞鶴を出港し翌昭和20年3月7日に舞鶴に帰還するまでルソン島西方等フィリピン方面にて作戦に従事。昭和20年3月18日に佐伯を出港し沖縄方面へ向かったが同23日にアメリカ海軍駆逐艦「ハンガード」の攻撃をうけ浮上・衝突させ損傷させたが沈没した。昭和20年5月25日除籍。

呂42
(Ro42)

写真無し

昭和14年度計画。昭和18年8月31日、佐世保工廠にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和18年11月30日に第6艦隊第34潜水隊に編入。昭和18年12月4日にトラックへ向け舞鶴を出港。翌昭和19年3月までトラック、エスピリッツ、マーシャル方面にて作戦に従事していた。昭和19年5月15日に横須賀を出港しマーシャル方面への哨戒についたがサイパンへのアメリカ海軍機動部隊来襲の報を受け、これの迎撃に向かったが同年6月11日にマーシャル海域付近にてアメリカ海軍駆逐艦「バンガスト」の攻撃を受け沈没。昭和19年8月10日除籍。

基準排水量 960t(水上)/1447t(水中)

常備排水量 1109t

全長×全幅 80.5m×7.05m

吃     水 4.07m

主     機 艦本式22号10型ディーゼル機関×2
(2軸、水上4200HP、水中1200HP)

乗     員 61名

速     力 15.8ノット(水上)/19ノット(水中)

航 続 距 離 16ノットで5000浬(水上)/5ノットで45浬(水中)

兵     装 8cm単装高角砲×1、25mm連装機銃×1基
53cm魚雷発射管×4基(合計魚雷10本) 

備     考 搭載蓄電池は1号15型240個


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