昭和16年度の戦時計画に最初の9隻の建造開始され17年度・18年度に更に12隻(完成8隻)が計画された中型潜水艦。以前建造された戦時急造の呂33(S30型)の量産型とされたが途中から設計が改められ基本計画番号もS44となった。呂33型より排水量が160t増えたに関わらず艦本22号10型エンジンのおかげで速力は19.6ノットに向上しており艦内環境も冷房にフレオン式が採用され改善されていた。本型は戦時下にあっては通商破壊戦に最適であったが、日本海軍の潜水艦運用構想が艦隊型に偏っていたため量産効果が現れる前に建造が打ち切られ、補助兵力としか扱われなかった。 |
呂43 (Ro43)
写真無し
昭和14年度計画。三菱神戸にて昭和18年12月16日竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和19年1月30日にトラックへ向け舞鶴を出港、昭和19年3月10日、第6艦隊第34潜水隊に編入。昭和19年3月29日にトラックへ入港し同31日出港。その後、舞鶴入港後6月にサイパンを経て同海域を哨戒。昭和19年9月から11月にかけて本土との往復をしながらフィリピン東方海域にて哨戒を行った。昭和20年2月16日に南西諸島へ向け呉を出港、同17日に硫黄島海域に配備を変更。昭和20年2月21日に同方面にてアメリカ海軍駆逐艦「レンショー」を雷撃し大破したが同27日に同海域北西にてアメリカ海軍護衛空母「アンツィオ」搭載機の攻撃を受け沈没した。昭和20年4月10日除籍。 |
呂44 (Ro44)
昭和16年度計画。昭和18年9月13日、三井玉野にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和18年12月25日に第6艦隊第34潜水隊に編入、同日舞鶴出港しトラックへ向かった。翌19年1月25日にトラックを出港しサンタクルーズ沖東方300海里海域にて哨戒。3月2日にトラックを出港しミレ島への輸送作戦に従事、その後13日にメジュロを偵察し29日にトラックへ入港。昭和19年4月29日に呉へ入港し、その後修理整備。昭和19年5月29日に呉を出港、サイパンを経てマーシャル方面にて哨戒。昭和19年6月13日にブラウン島を潜水偵察。昭和19年6月16日にエニウエトク島付近にてアメリカ海軍駆逐艦「バードン・R・ヘイスティング」の攻撃を受け沈没した。昭和19年8月10日除籍。 |
呂45 (Ro45)
写真無し
昭和16年度計画。昭和19年1月11日、三菱神戸にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和19年4月15日に第6艦隊第34潜水隊に編入。昭和19年4月16日にトラックへ向け呉を出港し27日到着。昭和19年4月30日にアメリカ海軍機動部隊迎撃の為トラックを出港したが5月1日にアメリカ海軍護衛空母「モントレー」搭載機及び同国海軍駆逐艦「マクドノー」と「ステフィン・ポッター」の攻撃を受け沈没。昭和19年7月10日除籍。 |
呂46 (Ro46)
昭和16年度計画。昭和19年2月19日、三井玉野にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和19年6月23日に第6艦隊第34潜水隊に編入されサイパンに向け呉を出港、同年7月3日にサイパン方面にて小破(空襲か?)。昭和19年7月8日に呉に入港し修理。昭和19年9月19日に呉を出港しフィリピン東方海域へ作戦行動、同10月7日にウルシーを偵察し14日に呉に入港した。昭和19年10月21日にフィリピン東方海域に向け呉を出港、同年11月19日に舞鶴入港。昭和20年1月8日にルソン西方へ出港し同30日にアメリカ海軍上陸兵員輸送艦「カヴァーリア」を雷撃により撃沈。昭和20年2月4日に高雄に入港し同7日、ルソン残留飛行機搭乗員救出作戦に従事、同10日作戦完了し高雄を経て2月19日に呉に入港した。昭和20年4月6日、沖縄方面へ向け、呉を出港したが同25日に沖縄南東にてアメリカ海軍護衛空母「ツラギ」搭載機の攻撃を受け沈没した。昭和20年6月10日除籍。 |
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主 機 |
艦本式22号10型ディーゼル機関×2 (2軸、水上4200HP、水中1200HP) |
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速 力 |
15.8ノット(水上)/19ノット(水中) |
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航 続 距 離 |
16ノットで5000浬(水上)/5ノットで45浬(水中) |
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兵 装 |
8cm単装高角砲×1、25mm連装機銃×1基 53cm魚雷発射管×4基(合計魚雷10本) |
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