日本の潜水艦
(Japanese Submarines)

中型(呂35型) 4
CYU Type

[呂47、呂48、呂49、呂50]
(Ro47、Ro48、Ro49、Ro50)

昭和16年度の戦時計画に最初の9隻の建造開始され17年度・18年度に更に12隻(完成8隻)が計画された中型潜水艦。以前建造された戦時急造の呂33(S30型)の量産型とされたが途中から設計が改められ基本計画番号もS44となった。呂33型より排水量が160t増えたに関わらず艦本22号10型エンジンのおかげで速力は19.6ノットに向上しており艦内環境も冷房にフレオン式が採用され改善されていた。本型は戦時下にあっては通商破壊戦に最適であったが、日本海軍の潜水艦運用構想が艦隊型に偏っていたため量産効果が現れる前に建造が打ち切られ、補助兵力としか扱われなかった。

呂47
(Ro47)

写真無し

昭和16年度計画。三菱神戸にて昭和19年1月31日竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和19年3月27日に呉を出港しパラオに向かうが同4月5日に引き返した。昭和19年5月14日、第6艦隊第34潜水隊に編入。昭和19年6月14日にサイパン海域哨戒の為、呉を出港。昭和19年7月16日、舞鶴に入港し整備修理を行った。昭和19年9月17日にパラオ方面へ呉を出港したが同26日にパラオ北東海域でアメリカ海軍護衛駆逐艦「マッコイ・レイノルズ」の攻撃を受け沈没した。昭和20年3月10日除籍。

呂48
(Ro48)

写真無し

昭和16年度計画。昭和19年3月31日、三菱神戸にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和19年7月3日、第6艦隊第34潜水隊に編入。昭和19年7月5日に呉を出港しサイパンの哨戒配備点へ向かったが同7月14日にサイパン北西300海里にてアメリカ海軍護衛駆逐艦「ウイリアムズ・C・ミラー」の攻撃を受け沈没。昭和19年10月10日除籍。

呂49
(Ro49)

写真無し

昭和16年度計画。昭和19年5月19日、三井玉野にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和19年11月10日、第6艦隊第34潜水隊に編入。昭和19年11月16日に呉を出港し翌年2月1日の呉入港までフィリピン方面、ルソン海域などで作戦従事。昭和20年3月18日に佐伯を出港し沖縄海域へ向かったが同25日以降行方不明となった。昭和20年5月25日除籍。

呂50
(Ro50)

昭和16年度計画。昭和19年7月31日、三井玉野にて竣工、舞鶴鎮守府籍に編入。昭和19年11月5日、第6艦隊第34潜水隊に編入。昭和19年11月18日に呉を出港しフィリピン東方海域で作戦行動、同12月7日に呉に入港。昭和20年1月23日、呉を出港しルソン東方海域に向かう、同2月11日に同海域にてアメリカ海軍LST577を発見し雷撃により撃沈。その後、昭和20年2月20日に呉に入港、同26日に舞鶴に回航されて修理を行った。昭和20年4月20日に舞鶴を出港し沖縄方面へ向かうが戦果は無く同5月4日に舞鶴入港。昭和20年5月29日に舞鶴を出港し台湾南方海域、次いで6月6日に台湾東方海域へと移動、同6月11日、同7月3日に舞鶴に入港するまでウルシー〜沖縄間で哨戒を行った。昭和20年8月11日に舞鶴を出港、翌12日に大連に入港。そのまま終戦を迎え同15日に同港を出港し翌16日に舞鶴に入港、武装解除された。昭和20年11月30日除籍。昭和21年4月1日、五島沖にて海没処分。

基準排水量 960t(水上)/1447t(水中)

常備排水量 1109t

全長×全幅 80.5m×7.05m

吃     水 4.07m

主     機 艦本式22号10型ディーゼル機関×2
(2軸、水上4200HP、水中1200HP)

乗     員 61名

速     力 15.8ノット(水上)/19ノット(水中)

航 続 距 離 16ノットで5000浬(水上)/5ノットで45浬(水中)

兵     装 8cm単装高角砲×1、25mm連装機銃×1基
53cm魚雷発射管×4基(合計魚雷10本) 

備     考 搭載蓄電池は1号15型240個


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