日本海軍では久しく新型の工作艦を希望していたが予算不足から中々実現しなかった。しかしながら昭和9年の第二補充計画で認められ昭和12年1月に佐世保工廠で起工されたものが「明石」である。昭和15年に連合艦隊に編入されたが能力的に非常に優れ、船内は、工作機械114台を有し、工作関係材料の重量は1155t、工場は第1・第2機械工場、第1・第2組立工場、焼入工場、鋳造工場、鍛冶鉱金工場、鍛冶工場、銅工場、溶接工場、木具工場、兵器工場、電機工場、工具室、青写真室などがあり当時の連合艦隊の年間修理量の4割を担当できる程であったと謂われる。 なお、後継艦に関しては有用との判断がなされたが予算、生産能力の面から建造されていない。 |
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昭和9年度計画艦
昭和14年7月31日 |
佐世保工廠にて竣工。呉鎮守府籍に編入。 |
昭和14年11月15日 |
連合艦隊付属に編入。 |
昭和16年12月1日 |
呉を出港。 |
昭和16年12月6日 |
パラオ入港。艦船修理に従事。 |
昭和17年1月2日 |
パラオ出港。 |
昭和17年1月4日 |
ダバオ入港。艦船修理に従事。 |
昭和17年2月15日 |
ダバオ出港。 |
昭和17年2月18日 |
セレベス島スターリング湾に入港。艦船修理に従事。 |
昭和17年3月27日 |
スターリング湾出港。 |
昭和17年3月28日 |
アンボン到着。艦船修理に従事。 |
昭和17年4月23日 |
アンボン出港。 |
昭和17年4月30日 |
呉入港。 |
昭和17年5月20日 |
入渠修理。 |
昭和17年5月24日 |
出渠。 |
昭和17年5月28日 |
呉出港。 |
昭和17年6月4日 |
トラック入港。重巡洋艦「最上」等の修理に従事。 |
昭和17年8月5日 |
トラック出港。 |
昭和17年8月11日 |
呉入港。補給を行う。 |
昭和17年8月17日 |
呉出港。 |
昭和17年8月23日 |
トラック入港。以後昭和19年2月17日まで損傷艦艇の修理に従事。 |
昭和17年9月12日 |
艦長江口松朗大佐着任。 |
昭和18年10月21日 |
艦長亀山峯五郎大佐着任。 |
昭和19年2月17日 |
トラックにてアメリカ海軍機動部隊艦載機の攻撃により損傷。 |
昭和19年3月30日 |
パラオにてアメリカ海軍機動部隊艦載機の攻撃により沈没。 |
昭和19年5月10日 |
除籍。 |
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基準排水量:9000t |
常備排水量:-t |
全 長:146.6m |
幅 :20.5m |
吃 水:6.29m |
主 機:三菱横浜マン式60型複動ディーゼル機関2基/2軸 10000HP |
乗 員:336名(他に工作部員433名) |
速 力:19.2ノット |
航続距離 :14ノットにて8000海里 |
兵 装:12.7cm40口径89年式連装高角砲×2基、25mm96式連装機銃×2基 |
備 考:重油1493t搭載。 |