海防艦 占守級(甲型)

[占守、国後、八丈、石垣]

日本海軍では、それまで「海防艦」とは旧式化した戦艦、巡洋艦を沿岸防御用に二線級に格下げしたものを指していたが本級より全く意味あいが違う艦種となった。本来「占守」級は北方の漁業警備などについていた駆逐艦の代替として昭和12年度に計画されたものではあったが航洋護衛艦急造の必要から、これといったモデルがなかったため本級がベースとなった海防艦が多数建造されることとなった。しかし砲力はともかく対潜水艦護衛艦としての能力や量産性の欠如など問題点も多く活躍したとは言いがたい。

占守
[Shimushu]

昭和12年度計画艦。昭和15年6月30日竣工。南遣艦隊に所属しマレー上陸の船団を護衛、昭和17年1月3日、第一南遣艦隊所属となりアナンバス、パレンバン攻略に参加した。同年7月末よりビルマ方面の船団護衛に出撃、その後はセレター港を基地として船団護衛に従事している。昭和18年12月20日、第一海上護衛隊に編入されシンガポール〜本土間の船団護衛に従事、昭和19年11月にフィリピン オルモック輸送作戦に参加、同年同月25日にコレヒドール島西方においてアメリカ潜水艦の雷撃により中破。昭和20年1月20日より舞鶴港で修理を行っている。その後千島方面根拠地に配備され4月より大湊方面に行動、同月10日第104戦隊に編入され北海道方面に行動中終戦を迎えた。昭和20年10月5日除籍。同年12月1日より特別輸送艦となった。昭和22年7月5日ソ連に引き渡し。

国後
[Kunashiri]

昭和12年度計画艦。昭和15年10月3日竣工。大湊警備府に所属して室蘭を基地として津軽海峡の防備に従事。昭和17年6月、アリューシャン方面攻略作戦に参加し、以後片岡湾に進出している。昭和18年7月キスカ撤収作戦に参加、同年8月1日千島根拠地隊に編入、昭和20年4月10日に第104戦隊に配属となり北海道方面の護衛に従事中、終戦。昭和20年10月5日除籍。同年12月1日より特別輸送艦となる。昭和21年6月4日復員輸送の最中に御前崎付近に座礁し放棄、後に解体された。

八丈
[Hachijyo]

昭和12年度計画艦。昭和16年3月31日竣工。大湊警備府に所属して厚岸を基地として津軽海峡の防備に従事。昭和17年9月より千島方面に進出した。同年12月1日千島特根に配備、昭和20年5月11日占守島付近でアメリカ軍機の攻撃を受け中破。帰途、船団を護衛して小樽に帰港、大湊で応急修理の上、舞鶴に回航されてそのまま終戦を迎えた。昭和20年11月30日除籍。後解体された。

石垣
[Ishigaki]

昭和12年度計画艦。昭和16年2月15日竣工。大湊警備府に所属して松輪島を基地として千島方面の防備に従事。昭和17年6月2日よりアリューシャン西方海域を哨戒後、片岡湾に進出した。同年8月25日より修理、整備作業。終了後八戸方面で船団護衛に従事している。11月に再び片岡湾へ進出、昭和18年12月9日大湊で改修工事を実施、昭和19年1月10日大湊を出航し小樽を経て同年1月20日横須賀に入港した。同月25日に船団を護衛しトラックへ向かい帰路も船団を護衛して帰港している。昭和19年3月4日に大湊に回航され、千島方面の船団護衛に従事していたが同年5月31日に松輪島に向けての船団護衛中、アメリカ潜水艦「ハーリング(Herring)」の雷撃により沈没。同年7月10日除籍。

基準排水量 860トン
全   長 78m
  幅   9.1m
吃   水 3.05m
主   機 ディーゼル機関×2(2軸、4500馬力)
乗   員 147名
速   力 19.7ノット
兵   装 12cm単装砲3基、25mm三連装機銃5基、8cm迫撃砲1基、爆雷投射機他
      22号電波探信機、13号電波探信機、93式水中探信機、3式中探信機等装備
備   考 兵装は戦争後期のもの


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