ソビエトの戦艦( Soviet BattleShips )

ソビエツキー・ソユーズ級(Sovyetskiy Soyuz Class)

ソビエトが1938年1月21日に建造を正式決定した戦艦。これ以前に戦艦建造に対してアメリカ合衆国への建造依頼やイタリアへの設計依頼、またドイツへの図面依頼等が行われていたが全て失敗に終わった後に自国独自に設計を開始したものである。艦全体はイタリアのアンサルド社に設計依頼された形式名U.P.41(1936年に設計が完了したヴィットリオ・ベネトの改良型で排水量42000tと同等ながら防御力の強化、16inch砲の採用など)の影響を受け水中防御にプリエーゼ方式を採用、艦尾部分はアメリカ戦艦の防御方式を模倣し、推進はドイツ戦艦が採用していた3軸推進を採用した。戦艦としては日本海軍の大和級に次ぐ大きさであったが結局、主砲供給の見込みも無く独ソ戦も開始されたために4隻が起工されながら全て建造中止となった。

ソビエツキー・ソユーズ
(Sovyetskiy Soyuz)

1938年7月15日(世界の艦船増刊「ロシア/ソビエト戦艦史」では8月28日)にレニングラードのオルジョニーキーゼ工廠にて起工。1940年に工程を意図的にスローダウン、同年10月19日に建造一時停止。その後1941年までスローテンポで工程進行、同年6月22日の独ソ戦開始時点で全工程の20%。1941年7月10日に建造中止(この時点でボイラー据付や甲板防御装甲は装着完了していた)、同年9月10日に除籍された。1949年に解体作業終了。

ソビエツカヤ・ウクライナ
(Sovyetskaya Ukraina)

1938年10月31日(世界の艦船増刊「ロシア/ソビエト戦艦史」では11月28日)にニコライエフのマルティ南工廠にて起工。1940年後半に建造速度スローダウン、同年10月には一時中止。1941年6月22日の独ソ戦開始時点で工程は全体の18%で進行。1941年8月18日にドイツ軍の占領に伴い捕獲、1944年3月の撤退時に船台爆破の為建造が不可能となり戦後解体された。

ソビエツカヤ・ベロルシア
(Sovyetskaya Byelorussiya)

no photograph

1939年12月21日(世界の艦船増刊「ロシア/ソビエト戦艦史」では11月28日)に白海の402工廠にて起工。1940年10月19日に建造中止。

ソビエツカヤ・ロシア
(Sovyetskaya Russia)

no photograph

1940年初めに白海の402工廠にて起工(世界の艦船増刊「ロシア/ソビエト戦艦史」には同艦の記載が無い、見落としか?)。1941年6月22日の独ソ戦開始時点で工程は全体の5%で進行、船体の肋骨と外板の取り付けが完了していた。1941年7月に建造中止。1946年までに解体終了。

基準排水量 59150t (満載排水量 65150t)
全   長 269.4m(271mの資料有り)
  幅   38.9m
吃   水 10.2m
機   関 3軸 231000HP(ターボ電気推進)
乗   員 320名
速   力 28ノット
兵   装 406mm砲三連装砲×3基、150mm連装砲×6基、100mm連装高角砲×4基、
       37mm四連装機銃×8基、航空機4機
備   考 ●最厚部の主砲砲塔前面の装甲は49.5cm(アメリカ海軍の戦艦アイオア級は50cm、
        日本海軍の大和級は65cm)
       ●舷側装甲は42.5cm(日本海軍の大和級は41cm)

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